年寄りの昔がたりと聞き流してほしい。その昔、メーデーのデモの後は、ナンバのキリン会館のビアガーデン、総評解散後は、西梅田のニュートーキョーのビアホール(解散場所の関係である)で打ち上げ、というのが定番だった。昼間からジョッキで乾杯!という事が当たり前の世の中だった。メーデーの準備に何日もかけ、デコレーション作りに徹夜もした。それだけに終了後は打ち上げの意味もあり大いに盛り上がったものだった。
なにも参加者だけがそうだった訳でなく、その日の夕方のテレビはメーデーの様子がトップニュースだった。
今はどうか?メーデー全体の様子はよく知らないが、我が昔の職域でいえば、参加者も現役組の若者は少なく(今は年休を取って参加という事情もあり)我ら退職者が主役になっている様である。
方や世界はどうか?経済危機の欧州や、怒れる99%のニューヨーク市民も参加してメーデー発祥の国のメンツを保っている。
今の日本がそうではないとは言わないが、すくなくとも、開催日をずらしたりしているようではMAY DAYの名に値しないことは間違いないと思う。
いずれは昔のクリスマスのドンチャン騒ぎのような季節の風物詩になり下がってしまうのではと、年寄り四人が、小ぢんまりしたビアスタンドで乾杯した。
!いろんな考えや感慨があると思うが、私は企業内組合の「動員」に近い形の上に「盛り上がっていた」時代を懐かしむのはやめようと思っている。
返信削除それよりも、不安定雇用、過労死やうつ病寸前の労働環境、社会保障の劣化と関連した種々の家庭や人生の悩み・・の中で孤立した現代の労働者に、「あの波に参加したら何かが変わる、変えられる」と思われるような輝きが主催者・参加者側に欠けていることが問題ではないかと思う。
それは、経験主義、権威主義、指示待ち主義・・・一言で言えば時代遅れで工夫に乏しい気がしてならない。
現役に何かを感じてほしいと多数のタンバリンを持参したが迷惑がられてしまった。老兵は問われた時にだけ語ればいいのだろうか。
でも憲法集会での大阪女子高校軽音楽部のコンサートはよかった。未来を悲観することはなさそうだ。
継続は力!縁の下の力持ち(それで腰痛に!?)ひげ親父氏のおかげでささやかながらいろいろなことに参加できているので感謝しています。
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返信削除Googleでは、この間までコメントに表示されていた時刻が米太平洋標準時でしたが、ようやく東京時に正しく表示されました。
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