特にネタがないので例によって「大阪365日事典」から 。
今日3月29日(昭和13年)日本職業野球連盟は、新球団「南海軍」の加入を承認した。関西では阪神、阪急に次いで3番目の球団誕生となった。
私のプロ野球観戦(ナイター)が「南海」対「大毎」の試合でナンバの大阪球場に知り合いのお兄ちゃんに連れて行ってもらった。
今でこそ、関西はタイガース一色に染まっているようだが、その頃の大阪の子供にとって身近なチームは「トラ」よりも「タカ」だったように思う。鶴岡一人という広島県出身の監督によって大阪、というよりナニワの人情球団として絶大
ホームである大阪球場はその後、住宅展示場や駐車場などになり、現在の「なんばパークス」という複合娯楽施設になっている。館内には「南海ホークス」メモリアルギャラリーがあり、往時の名選手、杉浦、景山、広瀬、門田等のユニホーム姿が並んでいる。
しかし、不思議な事に、野村選手・監督の記録は並んでいない。これは当時、鶴岡監督との確執、球団との確執などがあった事の影響などと言われる。 上の写真は当時の球場のピッチャーズマウンドのあつた場所に記念プレートを埋め込んだもので唯一大阪球場の跡である事を物語っている。
右の写真は私のお気に入りの場所。「パークスガーデン」である。なんばパークスの屋外の最上階から二階までを本格的なガーデンにしている。
人工でありながら、あまりそれを感じさせないのは、専属の人たちがこまめに手入れしているからだろう。都会の中にいる事を忘れさせてくれる。
うれしいブログありがとうございます。
返信削除そうです。大阪人はホークスでした。(ミナミの人だけか?)
そして、親会社南海電鉄の度量の狭さは大阪人として許せない。
その後いろいろあったとしても、「そのとき彼はがんばっていた」とどうして思えないのでしょう。
野村克也を抹殺したギャラリーには違和感を覚えます。