嫁はんが先日の見舞いの際に、テレビの旅行番組か何かで観たミャンマーのことを話したがミャンマーがビルマである事は説明できたが首都のネピドーの前の名前がヤンゴンでその前が何だったか思い出せず昨日やっとラングーンだった事を思い出し今日、話してみると意気込んでいたのだ。
お昼前の栄養食と水分を鼻から摂っていたが眼はハッキリと開いていた。嫁はんが写真にある様に大きな字で説明していたらだんだん話が通じるようになった。と云っても嫁はんだけが聞き取れる会話なのだがその中でヤンゴンの昔の名前がラングーンだったことを説明すると「ビルマの首都や」と私にも聞き取れる応答をしたので驚いた。
確か義父は終戦をビルマで迎えたはずで捕虜になった間も海岸で魚を採って食料にしていた、などと楽しそうに話してくれていたし、まだ元気だった頃は「ビルマにはもう一度行きたい」と話していたのでいい思い出があるのだろう。嫁はんも今日はよく喋ったな、と喜んでいた。
見舞いの帰りに池田で途中下車し「吾妻」のささめうどんを食べた。以前ブログにも書いたが細めのうどんで薄めの餡かけ、揚げと蒲鉾、細切りの塩昆布、すり胡麻、三つ葉、そしておろし生姜がたっぷりのっていて半分も食べる頃には足の先まで温まり、頭から汗が出てくる。だから冬場でもテーブルの上には団扇が置いてあるのだ。
温まった体を少し冷ますつもりで近くの「逸翁美術館」に寄り心もホッコリして帰宅した。
日本軍に捕虜になった連合国側の人々や満州でソ連軍の捕虜になった日本人のことに比べると、よかったとでもいえばいいのでしょうか。
返信削除年が明けてからのブログの更新回数、尊敬しています。
介護もケースバイケースですね。
ひげ親父さんへ
返信削除ご無沙汰です、義父さんの記憶、素晴らしいですね!!
新しい元号の年、義父さんはその事も良く理解されて今から元号への期待が
高まっているのでは無いでしょうか
吾妻うどん 昨年ご一緒くださり美味しさを知りました、しょうがの香りを思い出します、先日はブログコメントありがとう 私も親父さんにコメントを書くのですが送信ミスばかり、今回は上手く送信できるかな? 心配 またね by岳美
ありがとう!うまく載りましたね。
削除100歳を前に意識レベルがUPすることを願っています。