2013年5月6日月曜日

メーデーに参加して

今年もメーデーに参加した。退職して9年、年金生活者は労働者ではないだろうが、年金者組合は労働組合だ、とおっしゃる方もおり、それと退職者会とのお付き合いもあって毎年参加している。そのメーデーだが連合系のメーデーが5月1日ではなくG・Wの中に組み込まれたのはいつの頃からだったろうか?8時間労働制を目指す闘いの日であったメーデー、それが日本においては、経済界からの要請で消費拡大の為に大型連休の中に放り込まれ、ついにはG・Wの前半と後半を繋ぐ休日にされようとしたが景気の冷え込みとともにしぼんでしまった。不純な動機の結末ではあるが、実はこの顛末が昨今の憲法改定策動をたくらむ動き(こちらの方の結末はまだだが)とよく似ているように私は思うのである。改憲を叫ぶ人たちの多くは、占領軍に押し付けられた憲法だから今の日本に相応しくない、改憲するべきだ、と言っている。また各種世論調査の中では「北朝鮮のミサイルや中国の尖閣問題など頻発しており不安だ」「アメリカに頼るだけでは国際社会から取り残される」など現在の社会情勢に不安を覚えての賛成のようだ。石原日本維新の会共同代表のように「9条が日本をダメにした」「今の国際社会は核を持ってない限り発言力はない」などという暴言、妄言もあるが、押し並べて「現状に合わない憲法は変えるべき」ということに尽きるように思う。
で、日本国憲法とは?ということに突き当たるが、憲法論議は別の機会にするとして、日本国憲法の精神はその前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と宣誓している。私にはこの前文が、「いかに世界の現状が危機的なもので、多くの矛盾と混乱を孕んでいようと、日本国憲法を持つ日本国民は、この精神を、この理想を放棄してはなりません」と訴えているように思う。8時間労働制を闘いとった労働者の記念すべき1日を、悲惨な戦争の犠牲となったすべての人々の生きていた証の日本国憲法を、誰かの都合で簡単に変えてはならないと思うのである。 『ならぬものは ならぬのです』

5 件のコメント:

  1.  家族が暴漢に襲われているときに非暴力の理想だけで対応できるかという主張がありますが、アメリカ銃社会がなんの解決もできずにアメリカ社会のモラルを低下させている事実は教訓的です。
     野蛮な暴力でない方法で平和と安全を実現しようというのは確かに理想です。だから警察権を否定している国はないでしょう。しかしながら、そういう理想に燃えた精神こそが社会を進歩させるのです。
     私は将来、アメリカが台湾を見捨てたように日本よりも中国を選択する時代が来ると思います。国際政治の現実を直視すれば当然です。
     そのときに、各国から尊敬される文化国家として生き残るか、世界の笑いものになるか、今考えなければなりません。
     改憲論者は言葉は勇ましいけれど、アメリカの属国に甘んじて「言われたことは何でもするから見捨てないで」という「悪女の深情け」論者だと私は思います。

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  2. 昔 大阪城と川を隔てた広大な広場に廃屋になった工場
    出勤途中 いつも環状線の窓から眺めていました
    5月1日には 雲霞のごとく 人 人でした
    それが あくる日には何時もの静かな広場でした

    今は大手企業のビル ホテル テレビ局 変わりましたね
    今は何処にメーデーの人達は 集まるのですか?

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  3. お早う!正統派(断固5月1日にやる派)は、扇町公園です。むかし扇町プールがあって、今は関西テレビがある、それから近所に美味しい、たこ焼き屋(うまい屋)や、持ち帰りの豚まん(パオパオ)があるところです。て、いつの間にかグルメガイドになってるがな。

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  4. メーデーに参加した後自宅で昼食を摂っていたら仮歯を壊してしまった。慌てて行きつけの歯医者に。若い歯科衛生士から「今日どこへ行ってきたのですか?」「メーデーに行ってきました」「メーデーってなんですか?」と聞かれました。そこであの歯科の診察台に横たわりながら8時間労働からポツポツ話したのです。対話の内容はTwitterに書いたのですが、後日娘にその話をしたら娘もデモ参加後美容院で同じように「今日はお仕事休みですか?」「今日はメーデーに行った帰りで仕事は休みよ」「メーデーってなんですか?」と同じような対話をしたというのです。学校でも教えないマスコミも報道しないなかでメーデーを知らない世代が増えていることに気づかされました。

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  5.  わこたんのコメントの工場跡は大阪砲兵工廠の跡です。私の義父も働いていました。戦後の跡地を題材にした開高健の「日本三文オペラ」という実に痛快な小説があります。

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