どこで、どうして手に入れたかの記憶がない(多分フリーマーケットで買ったかも)豆本である。グリコのおまけの記念品のようなものだと思うが全12種類出たそうである。前回のブログのグリコの宣伝部長だった「岸本水府」関連で思い出し引っ張り出した。前にも書いたが川柳作家として活躍した水府は、グリコの豆広告なるものを発案し、新聞1段15行の短い広告を載せた。為に、「ケンカハオヤメ グリコハオタベ」などの名コピーを残した。案外、おまけのおもちゃもキャラメルとセットの小さなおまけの箱に入っている点など、発想は同じなのかもしれない。それともう一冊、これは正式な豆本である「くんぺいごしちごアフリカえほん」である。
この豆本を手に入れたのは、確か古本市ではなく、四天王寺さんの骨董市で見つけたものだったと思う。手に取ってパラパラと中を見て、面白そうだったので買うつもりで、いったん台に置いて、店主に値を聞こうと思ったところ、横から手がス-ッと伸びてきた。慌てて「買うんです」と再び手に取ると、そのオジサンはいかにも惜しそうに、「探していたんです」と言った。俄然「これは掘り出し物、」という気持ちがムクムクと起ち上がり、「すんません、私も気に入ったものですから」と譲らなかった。
たしか1200円程だったと思うが家に帰って改めて「くんぺい」なる作者の事を調べてみた。名前は「東君平(ひがしくんぺい)【1940年~1986年】神戸出身で職業を転々としながらお茶の水美術学院で絵の勉強を続け、谷内六郎と出会い、彼の後押しで童話のイラストレーターとしてデビュー。その後童話作家に転じたとある。肺炎のため、46歳の若さで亡くなった。この豆本は、君平さんがアフリカ旅行をしたときに動物がすむ環境の激変に心を痛め、自費出版して収益金を難民たちに寄付したということだ。旅先での出来事を小さくまとめ、簡単な絵を描き、最後に川柳を書いている。例えば、「フンコロガシ」-ひとばんじゅう ゾウのなきごえや はないきで ねられないことがあります。・・・・じめんには おおきな あしあとがあって ひとかかえもある ふんがおちています。・・・」そして川柳が「ゾウのふん フンコロガシの おおしごと」大らかで、自然で、気持ちのいい絵本です。東君平さんの事もボチボチ調べていこうと思います。
いつもながらの貴殿の骨董趣味?には恐れ入ります。そして、なかなか上手に手に入れられた経緯も愉快です。
返信削除さて、東 君平という画家・作家のことは初めて聞く話ですが、ひげ親父さんのブログを読んで好きになりそうです。で「ごしちご」って何ですか?
「五七五」川柳の事でしょう。七、を「しち」と読むのは江戸弁だと思うのですが。
返信削除了解。
返信削除可愛い本ですね どれ位のサイズなんですか?
返信削除縦横10センチ足らずのサイズです。あとがきに、「1977年と1980年にアフリカのケニアへ行きました。~この本は そんな楽しかった日々の断片を ごしちごにメモしてきたものです。近ごろ新聞やテレビでアフリカの暗いニュースに接します。三回目のアフリカが太陽の下に輝いていますように心で祈っています。」とあります。
返信削除小学校の頃もっと小さいサイズだったと思うが同じような絵を少しずつ変えて描いてパラパラめくって見るものがありました(顔の表情が変わる)それをなんと言ったかは覚えてないが写真の豆本とは違うもののようです。
返信削除争奪戦の末購入したとは余程、お気に入りだったのでしょうね?機会があれば見せてもらいたいものです。
先日「グリコのおまけ」のように缶コーヒーにチョロQのようなミニカーが付いていました。
返信削除孫に「押して、引いて、放す」と教えたところ、すぐに「押して、引いて、放す」と言葉を覚えましたが、指先は引かずに前に投げてしまいます。そらあ、引いたら前に進むなんて判りませんよね。
追伸 茅渟の海さん。「パラパラ漫画」というのではないでしょうか。
パラパラ漫画と言いました。私の得意は「ゼロ戦」が低空で向かってきて、飛び去っていくパラパラでした。だんだん手が込んできて、機銃掃射をしながら飛び去っていくまでに進歩しました。もちろん書くのは教科書の右下(世界共通でしょう)です。
返信削除わこたんさん、根来攻めにより各地に散らばった、という話は聞いていましたが姫路でも技術が伝わっていたんですね、時代のある塗り物はなかなか出回りませんが根気よく探してください。
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