戦後50年たって中山さんは「二度と悲惨な戦争を起こしてはならない」との思いで沖縄戦の事を話しだしたという。
白梅学徒隊46名のうち22名が戦死した。中山さんは今も、彼女たちを追悼する「白梅之塔」に行き、甘い黒糖飴と時々は化粧品を持っていき、「食べなさい」「お化粧をしてあげるね」と語りかけるという。
いただいた資料によって分かったことだが、73日間の野戦病院勤務中に学徒の犠牲者はいなかった。野戦病院の解散命令を受け、中山さんたちは突然、砲弾と狙撃の恐怖のただ中に放り出された結果、多数の犠牲者が出たのであった。
この「白梅之塔」が建っている地区は、第二高女戦没者22名中、10人の犠牲者が出た地であることが戦後判明し、小さな「白梅の碑」をたて、最近になって、この立派な塔が建て替えられたのである。
当日は小雨の中であったが、中山さんは、いつものように小さな黒糖飴をお供えしておられた。ここに祀られている彼女たちが中山さんの背中を押し、重い口を開かせたのだと思った。我々も、幹事が神戸から持ち込んだお線香を手向け、全員で祈りを捧げた。
神戸の幹事さんは気のつく幹事さんだったんですね。
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