沖縄旅行記 ②
「ひめゆり部隊」は有名だが、沖縄戦では数多くの少女たちが従軍看護生として戦場に駆り出されている。白梅学徒隊もその一つで沖縄県立第二高女の四年生46名が野戦病院で負傷兵の治療や手術の手伝いに従事した。
太平洋戦争も末期、軍部は来るべき本土決戦に備え、沖縄を時間稼ぎのための「捨て石」にした。沿岸に停泊した米軍の艦砲射撃のため、野戦病院は自然の洞窟、(ガマと呼ばれていた)に設けられ、中山さんたちは来る日も来る日もローソクの明かりの中で負傷兵の治療に従事した。
中山さんたちが当時入っていたガマの中を案内してもらったが雨が降ると泥田のようになり、足を取られながら手術で切断された手足をガマの外に捨てに行くと、「狙撃されるので急いで暗いガマの中に逃げ帰らなくてはなりませんでした」と当時を思い出し語っておられた。
ガマの底から見上げる頭上には小雨模様の沖縄の空が見え、当時の少女たちがどんな気持ちで、この同じ空を見上げていたのかと思うと胸が痛んだ。
「昭和天皇独白録」で天皇は「敵が伊勢湾付近に上陸すれば伊勢熱田両神宮(の)神器確保の見込みが立たない。故に講和せねばならぬと思った。」と独白しております。
返信削除ここには、沖縄、広島、長崎、大阪大空襲等の下での国民の命など考慮されていませんでした。
そういう下で、さらに当時の軍上層部には朝鮮や台湾と同様沖縄に対する差別・蔑視があったためここまで悲惨な戦争が続けられたのだとしか考えられません。
そして現在に至るその後の歴代政府与党の政治家の中に、同様の蔑視を感じるのはうがちすぎでしょうか。
いただいた資料からは「生かされた者」として亡くなった「彼女たち」の代弁者とならなくては、という気持ちが重い口を開かせたのだろうと推察されます。それと、歴史教科書から軍命による「集団自決」の記述を消し去ろうとする動きに対し、「教科書問題は自分たちの戦争体験が隠されるということ。絶対に許せない」という思いがおありなのだと思いました。
返信削除いただいた資料から=2007年の歴史教科書問題-文科省が「沖縄戦における軍命による集団自決」の記述を削除させたこと-に対する危機感、「教科書問題は自分たちの戦争体験が隠されるということ。ぜったいにゆるせない」という気持ちが記述されている。権力者によって恣意的に戦争の真実を隠蔽することに激しい憤りを覚える、絶対に許してはならない、という思いが強く働いたのだと思います。
返信削除