写真は境内にある英霊堂で以前から気になっていた建物で全体が台形になっており、白壁は波打っている。不思議なお堂だなーと思っていたが「釣鐘饅頭」のお店のパンフレットにその由来が載っていた。
元々は世界一の大梵鐘のための鐘釣堂で戦時中の金属供出で空き家になったお堂の周りを壁で囲い、英霊堂にしたのだそうだ。それで、この奇妙な造形の謎が解けた。
高さ、7、8m 直径、4、8m 重さ、157、5㌧、明治36年大阪で、第5回勧業博覧会が開かれるのと丁度聖徳太子千三百年御遠忌にあわせ、明治33年に大梵鐘の鋳造を発願、日本一の鋳物師が3年の歳月をかけて完成させたのだそうだ。
この発願に共鳴した人が釣鐘饅頭の創業者で、大梵鐘の完成の前に製造販売したという。因みに大阪の百貨店で売っている釣鐘饅頭や「バナナ」という和菓子ははこのお店(総本家、釣鐘屋)の物ではないそうで、釣鐘屋さんは門前のお店でしか売っていないということでした。
さて大梵鐘ですが、その大きさに目を付けられ、金属として供出させられた訳ですが、その際の撞き納め式に招かれた阪大の教授の事前の調査によれば「当初発表の仕様より肉厚は疎らで所々鋳造の継ぎ目もあり、想ったような響きは無かったのだろう」ということで、これが「鳴らずの鐘」の真相のようでもある。いずれにせよ、浪速っ子が世界一と自慢した大梵鐘は、その生涯に
二度吠えただけで戦争の犠牲となり、饅頭にその姿を偲ばせるだけとなった。
金属供出について母に尋ねたところ、鍋、釜、結構上等の座敷火鉢4個、それに夫婦の結婚指輪を始め、宝石付の指輪や貴金属のカフスボタンまで目いっぱい供出したそうな。おまけに紙屑となった戦時国債をいっぱい買って、家は空襲で全焼し、でも、あの頃はそうせんとあかんもんやと思うていたな・・と。
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