「紅白」で植村花菜が歌った「トイレの神様」サビの「おばぁちゃん、おばぁちゃん」のところで泣けるという人を何人も知っている。かく云う私もそうだ。正月の準備でしめ縄を飾っている時、昔は玄関だけでなく、便所にも小さなしめ縄を飾っていて、「こんなところにも神さんが来るんや」と子供心に思ったものだ。
祖母は便所のことを「はばかり」と呼んでいたし、御不浄とも云う、きたない所にキレイな神さん、という取り合わせは何か道徳、修身的なものを感じます。
便所つながりで、昔から便所に落ちたら(汲み取り式だったから)名前を変えるという迷信がありました。現に私の隣の家の幼馴染の子は便所に落ちて名前を変えました。で、綺麗になったかどうかは知りません。正月早々、お耳汚しで。
そこで少し目出度い話題を、大阪ではもうすぐ「えべっさん」です。上のYEBISU缶ビールをよくご覧ください。戎さんの右の魚籠の中に鯛がもう一匹、そうです、これが数百本に1本の「ラッキーエビス!」です。ただし、この缶は限定発売のラッキーエビスで「目出度さも中ぐらい、ではありますが皆様の目のお正月になればと。いょー、チョン。」お粗末さまでした。
確かに「はばかり」と言っていましたね。なお「はばかりさん」はご苦労さん・お世話様・御面倒様・ありがとうの意。そういう感謝の念が反映しているのだとしたら(そうかどうかは知りませんが)これだけで大阪弁はそのままトイレの神様の世界ですね。しかし便座のトイレではイメージが重なりません。
返信削除YEBISU缶ビール。確認せずに捨ててました。十日戎を語る資格なしですね。勉強になりました。
私の小さい頃、遊びに行っていた嵐山にある親戚の店のトイレを思い出しました。「大」の方は畳敷きで前に棚があって花入れと落し紙を入れた立派な箱が置いてありました。「小」の方は一段低い鉄平石を敷き詰めた「土間」の様なところで下駄を履いて降りていくと前半分が欠取ってある円筒形の陶器で中に一杯杉の葉っぱが山盛り詰め込まれているのが小便器でした。子供心に「大」はやりにくく、「小」は緑色した杉の葉におしっこをかけるのが面白かった。最近では禅寺の手伝いに行った時、そこの偉いお坊さんが「東司(とうす)」=便所掃除を非常に丁寧にされていました。雑巾で便器全体を磨く等に拭いているのを見てある意味では便所掃除を「悟り」ました。
返信削除ちなみに我が家の便所には数年前壺阪寺で買った藁を背負った鬼の魔除けが便座に座った人をにらんでいます。