2011年1月9日日曜日

 神農さんの「張り子の虎」など昔の大阪の玩具を復元させた青年がいて「まねき屋」という工房をやっている。今回、布施の戎っさんに出店をすると云うので宵戎に行ってきた。数年前に比べて品数も増えたが少し趣が変わってきており、私が期待した昔の大阪の玩具はあまりなかった。
 私の云う大阪の玩具と云うのは、大正から昭和初期に全国の玩具を絵入りで記録した「川崎巨泉」と云う人がいて(何処かで聞いたような名です!)「人魚洞文庫」として中之島の市立図書館に所蔵されています。そこには、全く知らないものから、うっすらと記憶のあるもの等、さまざまな玩具が記録されていて見ていて楽しいものばかりです。その中に「蔵入り」といって、張り子の蔵に起き上がり小法師の俵が竹の溝にそってコロコロと出たり入ったりする玩具があり、縁起物としてたくさん作られたそうです。今回の店先には干支の「起き上がり小法師」がカラフルにたくさん並んでいて兎を一つ買って「蔵入り」も復活させてね、と頼みました。
 布施は今は東大阪市となっていますが河内では「都会」でした。
「まいど1号」の町としていっとき名前が売れましたが最近はどうなんでしょうか?子供のころ父親に連れられて信貴山や生駒の聖天さんに初詣に行った帰り、布施でうどんや丼を食べさせてもらえるのが楽しみでした。
 写真の饅頭は今日買った駅前の「ももや」という和菓子屋のでっかい饅頭です。(子供のころの記憶にはありませんが)創業60年の老舗で当時からあったものだそうで、直径は約10センチ、重さを計ったら450グラムありました。でっかい和菓子と云えば堺の「大鏡」か「ととや饅頭」が有名ですが大阪には時々こういうスケールの大きい名物が出てきます。物そのものは小さいですが四天王寺さんの門前で昔から売られている「釣鐘まんじゅう」は明治から昭和の17年まで境内にあった世界一の大梵鐘を偲んでつくられた饅頭です。大梵鐘は戦時の金属供出で「米英撃滅」のための武器となったそうです。

1 件のコメント:

  1.  息子が小さかったとき、五月人形のプラスアルファとして信貴山で少し大きめの張子の虎を求めましたが、首振り具合のリアルさからか、あまりに怖がったので、髭を全部抜いて張子の猫にしました。
     そんな息子でしたが、今では一人前の社会人(これは親馬鹿)です。

     追伸 布施戎は「裏口ドンドン派」ですか。

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