ニュースの発送の為、大阪に出たついでに「愛染さん」にお参りした。今日30日は大阪の夏祭りのトップを飾る「愛染まつり」である。
愛染さんについてブログに書いたのは5年前であった。正式には「勝鬘院」と云い、四天王寺の別院である。本尊は愛染明王であるが境内の多宝塔の本尊が「大日大勝金剛尊」という如来である。
寺伝によれば秀吉が戦勝祈願の為、造像させたという事だがこの如来さんは12本の腕を持つ特異な如来でかなりの法力を持つという事で欲張りの秀吉が造らせたということなのだろう。愛染まつりの3日間だけ特別公開されお顔が拝める。
5年前は写真撮影禁止の張り紙もないのを良い事に遠慮しいしい撮影させてもらったが今年は本格的に撮らせてもらった。やはり美しい。金色の光背の所為もあって一層輝きを放っておられる。
充分拝ませてもらい境内に戻ると丁度
「宝惠籠」の出発式の最中で浴衣姿の
愛染娘が掛け声の練習中だった。
頭取の掛け声で大阪締めと愛染さんじゃ、べっぴんさんじゃ、を繰り返すのだがどうも愛染娘の後ろに並んだお揃いのポロシャツ姿の学生さんたちの声が揃わない。ついに役員が「学生さんたち、日本語が揃わないのでもう一度」と云った。私の横に立っていた役員らしき人に聞くと「東南アジアからの留学生さん達です」との事だった。
役員の困った顔とは対照的に留学生たちの顔は楽しくてしょうがない、といった笑顔だった。これこそ「祭り」だ。
長谷やんのブログのツバメの写真を見ていて子供の頃作った「ツバメ型紙飛行機」を思い出し作ってみたくなった。
なにしろ60年も前のこと、と思いつつ「え~60年か~」と我ながら驚いた。で記憶だけで作ってみたのが最初の写真。
胴体というか尻尾の部分がそれらしくなってはいるがどうも違う。そこでPCで検索したらyou-tubeで丁寧に作り方が見られた。そして作ったのが2枚目の写真である。頭の部分が記憶とは全く違っていた。飛ばし方は普通の紙飛行機のように胴体をつまんで飛ばすのでなく、頭の部分を指で挟んでスナップを利かしてヒューイと飛ばすもので、これは記憶していた。
狭い家の中ではなかなかうまく飛ばないが、指から離れた瞬間、クルッと1回転して飛んで行った。
外で飛ばしたいところだが梅雨空と世間の目が気になってまだ飛行させていない。梅雨明けには万博公園で飛ばそうと暇を見つけて2号機、3号機を作っている。
昨夕、梅田で共産党の街頭演説があった。雨が降ったりやんだりであったが爽やかな第一声を聞いた。以前間近に見た印象と雨の中、爽やかに演説する姿が重なって「ツバメのように」スイスイと国会で活躍してくれることを願った。
後援会ニュース、会報の二つを発行し、残る一つ(ほぼ二カ月に1回発行)も編集が終わり何とか目途がついた。
いつもの事ながらドタバタしてあちらこちらに迷惑をかけているが私自身も周りに目を向ける余裕が無くなっているのも毎度のことだ。
そういえばアジサイの季節、我が家の裏庭の万博公園の「アジサイの森」も見頃になっているだろうし、もうすぐ蓮池での「早朝観蓮会&象鼻杯」の季節である。
去年は義父の体調不良があって出掛けられなかったが今年はいけるかもしれない。
写真:ホコリを被っていた嫁はんの折った「アジサイ」を引っ張り出して
飾った。
追記:6月21日 タイトル付け忘れ
『きれいな花・バラには棘がある。』とは昔からよく言われる例えですが、料理に添えられたアジサイの葉を食べて中毒症状が出た、という報告例があったそうです。でもこれは嫁はんが作った折り紙のアジサイですから安心です、「お~い、そやな~?」。
ボケ防止のつもりで3年連用日記を付けている。
1ページに3年分だから書ける量は少ない。
ボケ防止だから昨晩のご飯の内容を記すようにしているが、これがなかなか思い出せない事がある。(わざとその晩に書かずにあくる日に書く)洗って干してある鍋や食器を見て思い出すヒントにすることもある。
で、その日記を見ていたら丁度1年前の6月〇〇日に「朝、義父からSOSが」とある。それまで健康で義母が亡くなって6年、一人暮らしをしていたのが急に不調を訴え、検査入院や、嫁はんが泊まり込んでの生活が始まったのだった。
幸い今現在は週1回のデイサービスと週1回嫁はんが泊まり込まない日を設けて丸1日を一人で過ごすまでに回復した。
その義父の誕生日が6日であった。私は所用があって行けなかったが、娘(嫁はん)と二人、ささやかに祝ったそうだ。
体調に大きな問題はないそうだが、最近は同じことを繰り返し言ったり、冷蔵庫に何本もあるのに牛乳を買ってくると、嫁はんは愚痴っている。
先日私が昼間のお守りに行き、お昼ご飯を食べ終え、洗おうとすると義父が腕カバーをして「体を動かさんとボケる」と譲らなかった。
「ボケてない!」と言い張るより、ボケない様にという意識があるという方がいいのかも知れない。体調がいい時には、牛乳を買いに行くという行動も「まだ買い物にも行けるんだ」ということを確認しているのかもしれない。
6日で97歳、嫁はんが感想を聞くと「97歳は長生きの方かな~」と「あと3年で百歳か」であった。ビールを3口ほど飲んで、いつも通り就寝したようだ。
あまり遠くに出掛けないのでいつものベランダの姫スイレンをお目にかける。4日、近畿地方は梅雨入りしたそうです。皆さん、お体を大事に、100歳をめざそう。
11月のブログで紹介した季刊「上方芸能」の終刊号が届いた。
昨年11月の大阪ダブル選挙の最中に、大阪の文化の護り手である「上方芸能」が終刊するとの報道があり、私はその衝撃をブログに書いた。(2015・11・21『大阪の都市格を上げるためにも』)
そのブログの記事の中で、発行人である木津川さんが述べられた終刊の理由の一つを「経費の償はざること」とされているのを読んで「何とかならぬのか」という趣旨の繰言を書いた。
というのも2012年に文化を金儲け主義の下に置く低俗な地方統治者により文楽への補助金カットという異常事態が生じた。この時「上方芸能」編集部は「文楽を守れ!」の熱血特集を組んだ。
かのドナルド・キーン氏からは「文楽が生を受けて見事な花を咲かせた大阪で、もし死に絶えるのなら、大阪の政治家の蛮行を世界は決して許さず、また忘れる事もないでしょう」とメッセージを寄せ、総勢132氏から熱いメッセージが寄せられた。この特集は確実に世論の喚起と賛同を得たし、文楽を守れ!の思いに多くの観衆を結集させたことは間違いないだろう。
その「上方芸能」が「経費の償はざること」という事態に陥っているときに我々が拱手傍観していていいのか?という思いに駆られたからである。
しかし、木津川さんは経済的理由だけにその責を求めず、「与謝野鉄幹が「明星」を100号で突如終刊したこと、そのとき鉄幹35歳、私は齢80歳になり、年をとりすぎました。時代の変化についていき難くなりました。」と述べられ、廃刊ではなく、終刊という言葉で見事な幕切れの美学を示されたのである。
「上方芸能」という雑誌は終刊となったが、上方芸能という実体はこれからも行き続けていくだろうし、そうなってほしいと切に願う。幸い木津川さんも「一人語り劇場」は続けられるとの事だし、編集部の皆さんの熱意で再刊も夢ではないと信じている。
さて、その終刊号だが、実は198号で終刊の予告がされる前に定期購読者の私は年間分をすでに振り込んでいた。編集部からは終刊するに際し、「200号以降の年間購読料をお支払いの方々には誌代を切手でお返しします」との丁寧な連絡があり、私は余剰の誌代は今後の維持基金にして下さいと返事した。そうしたら木津川さんから「このたびは、『上方芸能』の存続のためのご芳志を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。」との文書の末に「あと1号です。400字メッセージをぜひおよせください。」との直筆のメッセージが届いた。199号でも「終刊号は読者、執筆者、応援して下さった全ての皆様によるメッセージ「さようなら『上方芸能』で全誌面を構成します」とあった。
敬愛する木津川さんからの直のお頼みならばと我が身を顧みず拙文を11月のブログのコピーと共に編集部に送付した。そして先日届いた終刊号を開いて驚いた。
確かに全誌面、さようならのメッセージで埋め尽くされている。その数449人、目次にはメッセージを寄せた方々の名前が載っており、私の名前もあった。そしてそのお名前を見てさらに驚いた。そのほとんどが新聞紙上やマスコミ報道でよく見聞する方々であった。私の驚愕ぶりを実証する為にも恐れ多いが少し紹介しておく。
作家の難波利三、有栖川有栖、玉岡かおる、眉村卓、放送・落語作家の新野新、池田幾三、わかぎゑふ、織田正吉、また「霊感を科学する」を連載されてきた安斎育郎、そして芸能界から五世井上八千代、片山九郎右衛門、そして人間国宝の竹本住大夫、そしてそして、山田洋次監督(いずれも敬称略)という錚々たる方々がメッセージを寄せておられる。
そんな方々と同じ誌面に私の拙文が載っている。449人のメッセージを読む前に、正直、後悔した。いくら木津川さんの直筆の頼みとはいえ、心安い知り合い(この時点で既に舞い上がり勘違いをしていた)かのようにメッセージを送った事をである。そんな後悔の念を飲み下しながら各氏のメッセージを読み進めている内に、皆さんがいかに「上方芸能」を愛されていたか、終刊をどれほど残念がっておられるのか、という事がひしひしと伝わってきた。
メッセージ募集の際、「400字程度、別にお肩書、ご略歴、をお書き添えください」とあったので「怒れる年金生活者、永年国の機関で勤務」とした。そんな一般読者の拙文を人間国宝や山田監督と同じ誌面に載せるという木津川さんや編集部の気持ちを様々に考えたが「上方芸能」を愛してきた事、その終刊を惜しみ、怒りにも似た惜別の気持ちには何ら変わりはなく、等しく同じなのだという事に気づいた。あらためて「上方芸能」ありがとう!そしてご苦労様でした。
ー「終刊号」は私の一生の宝物になったー
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| わが家の宝物 加藤義明氏のきり絵 |
前回のブログ更新以降、囲碁大会の準備に、手も頭も取られてしまっていたがyamashirodayoriを見ていてムラムラと食欲がわいてきた。
食欲とブログ更新と何の関係が、と思われるかも知れないが、人間ひとつの事に集中していると他の事が疎かになる様である。食欲もしかり、一人分の夕食の準備はついついレトルトやコンビニ弁当に頼ってしまうことになる。
その囲碁大会も無事終わり、周囲を見渡すと新緑である。青くみずみずしい野菜が出盛っている。yamashirodayoriにコメントしたが新鮮なえんどう豆を「緑の申し子のよう」と評したのは土井勝(優しい語り口で料理番組の草分けであった)さんである。
嫁はんが花嫁修業で「土井勝料理教室」に通っていたらしい。"らしい„という言い方は決して嫁はんが作る料理が不味い、という事ではない。美味しい方だと思う。ただ独身時代-自炊が長かった私の腕もなかなかのモノだと思っているからである。その嫁はんの嫁入り道具の一つとして持ってきたのが土井さんの名著「おふくろの味」という本である。
「おふくろの味」とある様に、土井さんのお母さんが作られた家庭料理を中心に、旬の味、おそうざいの味、などの作り方がきれいな写真入りで載っていて思わず「私も作って、食べたい!」と思わせる名著である。(この「私も作って」と思わせるところが大事なところで昨今の写真だけの料理本にはないところ。)
そしてこの本の素晴らしいところは、土井さんが書く料理や食材に関するエッセイにある。これからが旬の「そら豆」の項にこんな事が書いてある。「私は八歳で小学二年生だった。~五月の瀬戸内海の潮風はひんやりして、興奮気味の少年にはそれがむしろ心地よかった。~『まさる!行っておいで』五月の半ばになると高松の叔父から手紙が来る。何日がいいよ、という電報のような文面だったらしい。~高松の家の畑のそら豆が食べ頃になる。そら豆は“三日の旬„といわれる。~この時のそら豆の味は、母からもらった休暇の三日間だけ、少年を充分に堪能させてくれたようである。」土井さんのお母さんはごく普通の家庭の主婦、お母さんであったようだが旬の味を味わさせるため、わざわざ学校を休ませ、少年を旅立させたのである。
我が子に美味しいものを食べさせたい、この想いがある限り昨今のような子どもの虐待など起こりようもないと思うのだが、、、話は少し大層になってきた。今夜は手を抜かず、莢付のそら豆を買ってきて食べようと思う。
蛇足:今テレビで流行りの「プレバト」に出演している料理の盛り付けの
先生、土井善晴さんは土井さんの二男である。
自分が生きている世代に大地震(震度7以上)が4回も起きるなんて想像も出来なかった。阪神淡路大震災(1995年)では軽微ながらも家屋の被害に遭い、その後、新潟中越地震(2004年)、東日本大震災(2011年)、そして今回の熊本地震である。いっこうに収まらない余震、と思っていたら本震だったという。その特異性が段々明らかになるにつれ、不安が募っていく。
「敗残兵の子」、戦後世代として育ち、古希を迎える段になって戦後最悪の危険な為政者と向かい合うことになってはいるがこれは所詮人間のすること、対処のしようもあるが、自分の力では如何ともし難い自然災害に只々終息してくれと祈るしかない。
ときどきみかける雑誌、「月刊大和路ならら」の2月号で東大寺二月堂の修二会の事が載っていた。その中に「忘れられない修二会の夜」という記事があった。筆者は2011年のあの揺れを東京で体験し、ようやく奈良に帰り着き二月堂の警備に向かった。(関係者のようである)-以下抜粋-
「12日はお水取り当日であったがさすがに人出も少なかった。当時の北河原別当から特別に3っのお願いというお話があった。それは被災され亡くなられた方々のご冥福をともに祈りましょう、いま、困難な状況にある方々の思いを馳せ、ともに苦しみを感じましょう、そして社会復興のため、それぞれの立場で持っている力を出しましょう」というものだった。
涙ながらに話された言葉に救われた。あの大震災では神も仏もあるものか、と多くの人が思い、行の最中の練行衆もやるせない思いを抱かれていたのではと思った。でもあのお話で、それでも人間は神仏や何かをよりどころとしながら踏ん張って行かなければならないのだと思った。ふと大阪大空襲の時も、西の空が真っ赤になるのを見ながら修二会が行われたことを思いました。
こんな時に修二会をしてるなんて、ではなく、こんな時だからこそ修二会をすべきなんだと実感したんです。」というものである。
今年も御参りには行けなかったが1200年を越え一度も途絶えることなく続く修二会、今回は間に合わなかったが来週には東大寺で写経を体験する。願文に熊本地震の犠牲者に哀悼をささげ、震災の一日も早い終息をお願いしようと思う。