いま全国的に取り組まれている「戦争法廃止を求める2000万署名」個人的には身内や知人に声をかけて署名してもらっているが何せ2000万人の署名を集めるとあって一個人での取り組みでは間尺に合わん、と思いあぐねていた。
そんな時、職場の退職者会の全国的組織の本部から署名のご協力をと要請が来た。我が会も過日の世話人会で話し合った結果、取り組むことに決まった。がこれまでこのような政治的課題での署名活動は取り組んだ事がない。「会員相互の親睦と福利厚生に資する活動を取り組む」との会則があるが会員の皆さんにどう呼びかけるか、どうご協力をお願いするかその内容で悩んでいた。
そんな時、「赤旗・日曜版」に素晴らしい記事が載った。記事の主人公は香川県の讃岐うどん店の主、池上瑠美子さん、1980年代後半から90年代にかけて全国的に広まった「讃岐うどん」ブーム、瀬戸大橋の開通もあり、全国からうどん店巡りツアー客が押し寄せたがそんなブームのアイドル的存在でもあった「るみばーちゃん」。
そのるみばーちゃんがうどんを食べに来た若い客に「お兄ちゃん、どっから来たの?ちょっとお願いがあるの。戦争に反対する署名してくれない?」と声をかける。「ビックリしとるか分からんが、大体みんな書いてくれよるよ」と明るい顔で署名用紙を掲げている写真が可愛い。「これや!この笑顔や!」会員一人ひとりに我々がるみばーちゃの様に頼みに行くことは出来ないがこの笑顔をお願い文書にして頼んでみようと思う。
るみばーちゃんは、身内を戦争で亡くし、夫は広島で原爆に遭い、戦後レッドパージで国鉄を解雇されたこともあったそうだ。わが会の会員の皆さんも少なからず戦争の影響も受け、困難な時期を懸命に働き、生きてこられたはずである。
「二度と戦争はしてはならん」、「殺し、殺されることがあってはならん」この思いは必ず通じると思う。
2016年2月24日水曜日
2016年2月3日水曜日
江戸時代の百科事典
実家に昔からあった古文書である。表表紙はぼロボロで判別がつかない。中綴じの背に「
大増字節用集」とある。
高校時代、担任の先生が国語の教師だったので見てもらったことがある。曰く「これは節用集と云って今の時代で云えば百科事典のようなものだ。罫線の細さから云って江戸時代後期のものではないか」という御意見だった。
我が家になぜ此れがあったのかは母に聞いても「親戚にこんな古いものが好きなおじさんが居た」と言うだけで詳しいことは判らずじまいだった。
本書は最初の頁に目次があって次の頁から、日光山繪圖、内裏之圖(京都御所)大日本國圖、平安城京之圖(?)、御江戸之圖、大坂之繪圖と興味深い絵図が続いている。そのあとは、囲碁指南、将
棋指南や諸禮之繪抄(礼儀作法)などが書いてある。
そして元々の国語辞典にあたるのであろう「十三門部分注」の「通俗節用集類聚寶・真草兩點」には時候のこと、衣食、草木、言語などが、いろは順に書かれている。そして興味深いのは、長谷やんのブログ「伝統を踏みにじるもの」に書かれている歴代天皇の年齢の記述がある点である。本書では神功皇后を十六代と数えているので仁徳天皇は十七代となっている点を除けば年齢の記載はほぼ合っている。そして本書の歴代最後の天皇は百十九代今上皇帝として「後桃園天皇」(桃園天皇の第一皇子:在位明和7年【1770年】~安永8年【1779年】)が記載されている。
それともう一つ、「中興武将傳略」と
して源頼朝から始まり、第三十一(豊臣)秀頼:秀吉二男、元和元年八月十八日(wikiでは慶長20年)自害で終わり、御當家御治世万々歳と結んでいる。
この二つの記述の終わり方からして本書の発行時期が特定できないかと考えた。家康が幕府を開いたのが1603年で後桃園天皇の在位末1779年は、第十代徳川家治の時代になる。版元が当代の政権つまり徳川幕府に対し遠慮して秀頼自害までを記述し、その後の徳川の治世を「御當家御治世万々歳」と書いたのだろうと思う。それと本書の体裁、内容から判断するならば、節用集は室町時代から昭和初期にかけて出版された日本の用字集、国語辞典の一種とwikiにある。その国語辞典が江戸時代に入って辞典以外の付録-百科事典の部分が増えていったとある。本書では巻頭見開きの目次に「頭書目録繪入」として御公家鑑や書礼用文章、四季料理献立など実用的な辞典になっている。
この「頭書」という表現は、江戸時代の節用集の典型である百科事典になった事を現している。また書体も室町期の楷書のみから行書・草書を二列併記する真草二行形式になっている。これも江戸時代の節用集であることを現している。 さらに明治期に入ると欧米の影響で五十音検索の国語辞典が登場し、節用集は昭和期にはいり発行されなくなったとwikiにある。本書の検索は江戸時代の「いろは」順でありこれらのことから江戸後期幕末までの発行ではないかと思う。最後に、巻末に「大坂道修町近江屋」の丸判が押してあった。もちろん調べたがそう簡単には分かりそうもない。いずれ府立図書館の上方関連部門に確かめに行こうと思っている。
大増字節用集」とある。高校時代、担任の先生が国語の教師だったので見てもらったことがある。曰く「これは節用集と云って今の時代で云えば百科事典のようなものだ。罫線の細さから云って江戸時代後期のものではないか」という御意見だった。
我が家になぜ此れがあったのかは母に聞いても「親戚にこんな古いものが好きなおじさんが居た」と言うだけで詳しいことは判らずじまいだった。
本書は最初の頁に目次があって次の頁から、日光山繪圖、内裏之圖(京都御所)大日本國圖、平安城京之圖(?)、御江戸之圖、大坂之繪圖と興味深い絵図が続いている。そのあとは、囲碁指南、将
棋指南や諸禮之繪抄(礼儀作法)などが書いてある。そして元々の国語辞典にあたるのであろう「十三門部分注」の「通俗節用集類聚寶・真草兩點」には時候のこと、衣食、草木、言語などが、いろは順に書かれている。そして興味深いのは、長谷やんのブログ「伝統を踏みにじるもの」に書かれている歴代天皇の年齢の記述がある点である。本書では神功皇后を十六代と数えているので仁徳天皇は十七代となっている点を除けば年齢の記載はほぼ合っている。そして本書の歴代最後の天皇は百十九代今上皇帝として「後桃園天皇」(桃園天皇の第一皇子:在位明和7年【1770年】~安永8年【1779年】)が記載されている。
それともう一つ、「中興武将傳略」と
して源頼朝から始まり、第三十一(豊臣)秀頼:秀吉二男、元和元年八月十八日(wikiでは慶長20年)自害で終わり、御當家御治世万々歳と結んでいる。この二つの記述の終わり方からして本書の発行時期が特定できないかと考えた。家康が幕府を開いたのが1603年で後桃園天皇の在位末1779年は、第十代徳川家治の時代になる。版元が当代の政権つまり徳川幕府に対し遠慮して秀頼自害までを記述し、その後の徳川の治世を「御當家御治世万々歳」と書いたのだろうと思う。それと本書の体裁、内容から判断するならば、節用集は室町時代から昭和初期にかけて出版された日本の用字集、国語辞典の一種とwikiにある。その国語辞典が江戸時代に入って辞典以外の付録-百科事典の部分が増えていったとある。本書では巻頭見開きの目次に「頭書目録繪入」として御公家鑑や書礼用文章、四季料理献立など実用的な辞典になっている。
この「頭書」という表現は、江戸時代の節用集の典型である百科事典になった事を現している。また書体も室町期の楷書のみから行書・草書を二列併記する真草二行形式になっている。これも江戸時代の節用集であることを現している。 さらに明治期に入ると欧米の影響で五十音検索の国語辞典が登場し、節用集は昭和期にはいり発行されなくなったとwikiにある。本書の検索は江戸時代の「いろは」順でありこれらのことから江戸後期幕末までの発行ではないかと思う。最後に、巻末に「大坂道修町近江屋」の丸判が押してあった。もちろん調べたがそう簡単には分かりそうもない。いずれ府立図書館の上方関連部門に確かめに行こうと思っている。
2016年2月2日火曜日
奇跡か!
朝、病院に行くため支度をしていると、ベランダの上にチョウゲンボウが止まっている。「えーっと」とわが目を疑った。それというのも、ついこの前、長谷やんのブログでご自宅の庭に来る野鳥の話題を書いていたので「うらやましいな~、しかしわが家には去年チョウゲンボウがやって来たもんな~」と思っていたからだった。
早速カメラを用意しようと窓越しに構えたところ「さぁ―」っと飛んで行ってしまった。そういえば毎朝ベランダにやって来る雀の鳴き声が今日は聞こえてこなかった事を思い出した。いつもの鳩も今日は姿を見せない。やはり、チョウゲンボウの姿に怯えているのだろう。
去年チョウゲンボウがわが家のベランダにやって来たのは同じころだったなーとおもい、ブログをめくると、なんと2月2日ではないか!まさか、同じ日に現れるとは、信じがたい気持ちで再度現れるのを待とうと思ったが診察の時間が迫り、やむなく外出したが、明日からが楽しみである。
去年の例でいうと、何日かは姿を見せてくれるのではないかと期待している。
ー写真はPCのサイトから引用ー
訂正:あまりの嬉しさに年が明けているのを忘れていました。チョウゲンボ
ウが来たのは2014年2月ですから一昨年でした。
早速カメラを用意しようと窓越しに構えたところ「さぁ―」っと飛んで行ってしまった。そういえば毎朝ベランダにやって来る雀の鳴き声が今日は聞こえてこなかった事を思い出した。いつもの鳩も今日は姿を見せない。やはり、チョウゲンボウの姿に怯えているのだろう。
去年チョウゲンボウがわが家のベランダにやって来たのは同じころだったなーとおもい、ブログをめくると、なんと2月2日ではないか!まさか、同じ日に現れるとは、信じがたい気持ちで再度現れるのを待とうと思ったが診察の時間が迫り、やむなく外出したが、明日からが楽しみである。
去年の例でいうと、何日かは姿を見せてくれるのではないかと期待している。
ー写真はPCのサイトから引用ー
訂正:あまりの嬉しさに年が明けているのを忘れていました。チョウゲンボ
ウが来たのは2014年2月ですから一昨年でした。
2016年1月31日日曜日
帯状疱疹、手強いです。
帯状疱疹くん、なかなか手強いです。発病からちょうど1カ月、痛みの度合いは中から軽度になりつつあるが代わりに腹部の不快感、左脇腹の膨満感がしつこく続いている
ひょっとして内臓器のガンでは?などと悪い方に考えてしまう。
一昨日定期的に診察を受けている腎臓専門医に相談したところ、血液検査の数値も心配ない、痛み止めの薬も腎臓等への影響の少ないものを処方しているので問題ない、との診断だった。ただし、神経痛の中でも(帯状疱疹の)痛みは最上級のものでもうしばらくは我慢ですね、と脅された。
心配した腹部の腫れも触診で「ガスが溜まっていますね」と云われ、そういえば便秘気味であることを思い出した。年末以来、外出も極力控え、体力温存に努めてきたがその為、運動不足で腸内の不活発を招いていたのかもしれない。兎にも角にも心配事が一つ解消した。後はこのしつこい痛みと上手く付き合っていくしかないようである。
病状報告はこれ位にして、家に引きこもり状態の中で運動不足解消とガス抜きも兼ねて、久しぶりに万博公園に出掛けた。日曜日とあってエキスポランド跡に出来たエキスポシティに向かう客は多いが万博公園に入る客は少なく、広い園内は出会う人もまばら、早咲きの梅と久しぶりのカワセミくんと対面をしてきた。家に帰り歩数計を見ると6500歩程だった。
ひょっとして内臓器のガンでは?などと悪い方に考えてしまう。
一昨日定期的に診察を受けている腎臓専門医に相談したところ、血液検査の数値も心配ない、痛み止めの薬も腎臓等への影響の少ないものを処方しているので問題ない、との診断だった。ただし、神経痛の中でも(帯状疱疹の)痛みは最上級のものでもうしばらくは我慢ですね、と脅された。
心配した腹部の腫れも触診で「ガスが溜まっていますね」と云われ、そういえば便秘気味であることを思い出した。年末以来、外出も極力控え、体力温存に努めてきたがその為、運動不足で腸内の不活発を招いていたのかもしれない。兎にも角にも心配事が一つ解消した。後はこのしつこい痛みと上手く付き合っていくしかないようである。
病状報告はこれ位にして、家に引きこもり状態の中で運動不足解消とガス抜きも兼ねて、久しぶりに万博公園に出掛けた。日曜日とあってエキスポランド跡に出来たエキスポシティに向かう客は多いが万博公園に入る客は少なく、広い園内は出会う人もまばら、早咲きの梅と久しぶりのカワセミくんと対面をしてきた。家に帰り歩数計を見ると6500歩程だった。
2016年1月12日火曜日
病魔退散!
遅ればせながら「新年おめでとうございます」(関西地方では15日までを松の内と言い習わしているので)
さて、いろいろとご心配をおかけしましたが何とかブログに向かうことが出来るようになったので簡単に経過報告をしておきます。
体の異常に気が付いたのは年末の28日頃で持病の腰痛だろうと思っていたが重痛い感じがなかなか取れず、正月準備も重なってそのままにしていた。大晦日も夜中にひどい痛みが出たが正月3日になって左わき腹から「おへそ」辺りに赤いポツポツが出てきて「これは噂に聞く帯状ヘルペスでは?」と思い、4日になって病院に受診した。
結果はやはり「帯状疱疹」であった。その頃から間断なく痛みが出て、夜中も十分睡眠がとれず、処方してもらった痛み止めの内服薬も直ぐには効かず、どうしようもない状態が続いた。
二回目の受診で皮膚科医に診察をしてもらい、すでに処方されていたウイルスを抑える薬(1週間分これ以上は効果なし)と痛み止めの薬を追加処方してもらい様子を見ることにした。毎食後の痛み止めの薬も就寝前に変えるなど工夫をして今日3回めの受診をした。発疹はほぼ収まり、痛みもコントロールできる程度になってきたことから皮膚科の女医さんは「程度のきついウイルスではなかったようで良かったですね。ただ、痛みがすぐ無くなるようなことはなく、まだ少し時間はかかりますよ」という事だった。
という事で何とか夜は寝られるようになったし、昼間もぼーっとすることも少なくなってきた、という経過である。
病院でもらった「帯状疱疹」のガイドブック(?)には、誰しもが持っている「水痘ウイルス」が大人になってストレスや過労によって抵抗力が弱った時に再び勢いを増し、「帯状疱疹」になる、と書いてある。
昨年10月から年末にかけての過労やストレスについては思い当たる節もないではないが、リタイア後、ほぼ同じようなサイクルで過ごしてきただけに、やはり抗いようのない老化現象、という事になるのであろう。せめて心の平静だけは保とうと思うのだが昨今の安倍政治から目を背けている訳にもいかず、何とか折れ合いをつけて痛みをやり過ごすしか方法はないようだ。
新年早々、私の病状日記にお付き合いさせて申し訳ないが、ただ「帯状疱疹」は誰でもかかる病気であり、その痛みは並大抵の根性では耐えきれないものだという事を是非知っていただき、日々の健康管理にお気を付け下さい、という事で経過報告とお詫びとお礼に替えさせていただきます。
写真は嫁はんが遂に完成させた「十二神将像」である。展覧会に出品するにあたり、友人に台座を拵えてもらい、新薬師寺の戒壇の様に並べたらなかなか迫力がある。神仏祈願はしない方だが、新年の飾り棚に祀った。
さて、いろいろとご心配をおかけしましたが何とかブログに向かうことが出来るようになったので簡単に経過報告をしておきます。
体の異常に気が付いたのは年末の28日頃で持病の腰痛だろうと思っていたが重痛い感じがなかなか取れず、正月準備も重なってそのままにしていた。大晦日も夜中にひどい痛みが出たが正月3日になって左わき腹から「おへそ」辺りに赤いポツポツが出てきて「これは噂に聞く帯状ヘルペスでは?」と思い、4日になって病院に受診した。
結果はやはり「帯状疱疹」であった。その頃から間断なく痛みが出て、夜中も十分睡眠がとれず、処方してもらった痛み止めの内服薬も直ぐには効かず、どうしようもない状態が続いた。
二回目の受診で皮膚科医に診察をしてもらい、すでに処方されていたウイルスを抑える薬(1週間分これ以上は効果なし)と痛み止めの薬を追加処方してもらい様子を見ることにした。毎食後の痛み止めの薬も就寝前に変えるなど工夫をして今日3回めの受診をした。発疹はほぼ収まり、痛みもコントロールできる程度になってきたことから皮膚科の女医さんは「程度のきついウイルスではなかったようで良かったですね。ただ、痛みがすぐ無くなるようなことはなく、まだ少し時間はかかりますよ」という事だった。
という事で何とか夜は寝られるようになったし、昼間もぼーっとすることも少なくなってきた、という経過である。
病院でもらった「帯状疱疹」のガイドブック(?)には、誰しもが持っている「水痘ウイルス」が大人になってストレスや過労によって抵抗力が弱った時に再び勢いを増し、「帯状疱疹」になる、と書いてある。
昨年10月から年末にかけての過労やストレスについては思い当たる節もないではないが、リタイア後、ほぼ同じようなサイクルで過ごしてきただけに、やはり抗いようのない老化現象、という事になるのであろう。せめて心の平静だけは保とうと思うのだが昨今の安倍政治から目を背けている訳にもいかず、何とか折れ合いをつけて痛みをやり過ごすしか方法はないようだ。
新年早々、私の病状日記にお付き合いさせて申し訳ないが、ただ「帯状疱疹」は誰でもかかる病気であり、その痛みは並大抵の根性では耐えきれないものだという事を是非知っていただき、日々の健康管理にお気を付け下さい、という事で経過報告とお詫びとお礼に替えさせていただきます。
写真は嫁はんが遂に完成させた「十二神将像」である。展覧会に出品するにあたり、友人に台座を拵えてもらい、新薬師寺の戒壇の様に並べたらなかなか迫力がある。神仏祈願はしない方だが、新年の飾り棚に祀った。
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左前から 真達羅(しんだら) 迷企羅(めきら) 毘羯羅(びから) 波夷羅(はいら)
安底羅(あんてら) 宮毘羅(くびら) 摩虎羅(まこら) 招杜羅(しょうとら)
因達羅(いんだら) 安你羅(あにら) 伐折羅(ばさら) 珊底羅(さんてら)
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2015年12月31日木曜日
来年もよろしく
今年も色んな事がありました。私的にも社会的にも、やはり激動の一年だったと思う。
全国的には、やはり安保法制をめぐる国会内外のたたかいがあった。多くの国民の願うようにはならなかったが政党の枠、団体の枠、世代の枠を超えたたたかいの輪が広がり、今も続いていることに大きな希望がある。
大阪的に言えば、都構想をめぐって住民投票でオール大阪の力が発揮され大阪市を無くすことを阻止できた。しかしW選挙では、維新政治を大阪から追い出すことが出来なかった。
私的には、義父が夏を迎えるころ、体調を崩し、すわ老々介護に移行するのか、と身構えた。しかし、信頼する医師に巡り会え,事なきを得た。しかし九十六歳の超高齢ゆえ、これまでの一人暮らしは諦めさせ、半同居体制で見守っている。
私も高齢者運動関係、退職者の会関係、等現役時代にも勝る忙しさをある種楽しんでいるが来年は古希となる。さて、いつまで続けられるか試す年となりそうだ。
で、勝負の年に備え、年末ぎりぎりに貯まっていた図書カードを使い3冊の本を買った。
「日本の大和言葉を美しく話す」
「暮らしのならわし十二か月」
「誰が『橋下徹』をつくったか」
このブログも今年はやっと去年並みの回数になった。
来年もよろしくお願いします。
全国的には、やはり安保法制をめぐる国会内外のたたかいがあった。多くの国民の願うようにはならなかったが政党の枠、団体の枠、世代の枠を超えたたたかいの輪が広がり、今も続いていることに大きな希望がある。
大阪的に言えば、都構想をめぐって住民投票でオール大阪の力が発揮され大阪市を無くすことを阻止できた。しかしW選挙では、維新政治を大阪から追い出すことが出来なかった。
私的には、義父が夏を迎えるころ、体調を崩し、すわ老々介護に移行するのか、と身構えた。しかし、信頼する医師に巡り会え,事なきを得た。しかし九十六歳の超高齢ゆえ、これまでの一人暮らしは諦めさせ、半同居体制で見守っている。
私も高齢者運動関係、退職者の会関係、等現役時代にも勝る忙しさをある種楽しんでいるが来年は古希となる。さて、いつまで続けられるか試す年となりそうだ。
で、勝負の年に備え、年末ぎりぎりに貯まっていた図書カードを使い3冊の本を買った。
「日本の大和言葉を美しく話す」
「暮らしのならわし十二か月」
「誰が『橋下徹』をつくったか」
| 大阪張り子 申 |
来年もよろしくお願いします。
2015年12月30日水曜日
書に学ぶ
昨日、金澤翔子さんの書展を見に行った。大河ドラマ「平清盛」の題字などで有名になった書道家である。と同時に彼女はダウン症という障害を持っている。
会場入り口に彼女のプロフィールが彼女の母親の金澤泰子さんのことばと共に紹介されており、また作品ごとに泰子さんのコメントがあり、なぜ彼女が書道家になったのかも紹介されている。
障害を持った子を産んでしまった母親の苦悩、世間と隔離して子育てをし、それがために母娘二人で濃密な時間を過ごしたこと。泰子さんが書道家であった事から5歳の娘に筆を握らせ、来る日も来る日も書道と向き合った事、小学4年生になった時に普通学級への進級を拒否され、絶望的な気分になり、その事がまた新たな書へ向き合うことになっていった事、(この時に有名な涙の般若心経が生まれた)、父親の突然の死と、兎に角、下世話に言えば波乱万丈の道を辿ってきたことが作品と共に紹介されている。しかし、その作品と彼女自身の思いは前に向かっているように感じた。
会場では国連が毎年3月21日を「世界ダウン症の日」に制定し、その記念会議に日本代表として参加した彼女がスピーチをする様子がビデオで映し出されているが「お母さまを愛しています。30になったら一人住まいをします」と力強く宣言されていた。
会場には有名な「共に生きる」(東北の被災地を訪れ揮毫した)や京都建仁寺の「風神雷神図」を見て書いた「風神雷神」等大作が並んでいたが私は一枚の小さな作品「雨」に心を奪われた。空に流れる雲から雨粒が降りてくる様をやさしい筆致で書いている。
母泰子さんの「ダウン症ゆえの魂の純度からくるのでしょうか、いまさらながら書はテクニックなどではなく魂のありようだと思い至っています」という言葉も素直に肯けた。
会場入り口に彼女のプロフィールが彼女の母親の金澤泰子さんのことばと共に紹介されており、また作品ごとに泰子さんのコメントがあり、なぜ彼女が書道家になったのかも紹介されている。
障害を持った子を産んでしまった母親の苦悩、世間と隔離して子育てをし、それがために母娘二人で濃密な時間を過ごしたこと。泰子さんが書道家であった事から5歳の娘に筆を握らせ、来る日も来る日も書道と向き合った事、小学4年生になった時に普通学級への進級を拒否され、絶望的な気分になり、その事がまた新たな書へ向き合うことになっていった事、(この時に有名な涙の般若心経が生まれた)、父親の突然の死と、兎に角、下世話に言えば波乱万丈の道を辿ってきたことが作品と共に紹介されている。しかし、その作品と彼女自身の思いは前に向かっているように感じた。
会場では国連が毎年3月21日を「世界ダウン症の日」に制定し、その記念会議に日本代表として参加した彼女がスピーチをする様子がビデオで映し出されているが「お母さまを愛しています。30になったら一人住まいをします」と力強く宣言されていた。
会場には有名な「共に生きる」(東北の被災地を訪れ揮毫した)や京都建仁寺の「風神雷神図」を見て書いた「風神雷神」等大作が並んでいたが私は一枚の小さな作品「雨」に心を奪われた。空に流れる雲から雨粒が降りてくる様をやさしい筆致で書いている。
母泰子さんの「ダウン症ゆえの魂の純度からくるのでしょうか、いまさらながら書はテクニックなどではなく魂のありようだと思い至っています」という言葉も素直に肯けた。
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