2016年2月3日水曜日

江戸時代の百科事典

 実家に昔からあった古文書である。表表紙はぼロボロで判別がつかない。中綴じの背に「大増字節用集」とある。
  高校時代、担任の先生が国語の教師だったので見てもらったことがある。曰く「これは節用集と云って今の時代で云えば百科事典のようなものだ。罫線の細さから云って江戸時代後期のものではないか」という御意見だった。
 我が家になぜ此れがあったのかは母に聞いても「親戚にこんな古いものが好きなおじさんが居た」と言うだけで詳しいことは判らずじまいだった。
 本書は最初の頁に目次があって次の頁から、日光山繪圖、内裏之圖(京都御所)大日本國圖、平安城京之圖(?)、御江戸之圖、大坂之繪圖と興味深い絵図が続いている。そのあとは、囲碁指南、将棋指南や諸禮之繪抄(礼儀作法)などが書いてある。
 そして元々の国語辞典にあたるのであろう「十三門部分注」の「通俗節用集類聚寶・真草兩點」には時候のこと、衣食、草木、言語などが、いろは順に書かれている。そして興味深いのは、長谷やんのブログ「伝統を踏みにじるもの」に書かれている歴代天皇の年齢の記述がある点である。本書では神功皇后を十六代と数えているので仁徳天皇は十七代となっている点を除けば年齢の記載はほぼ合っている。そして本書の歴代最後の天皇は百十九代今上皇帝として「後桃園天皇」(桃園天皇の第一皇子:在位明和7年【1770年】~安永8年【1779年】)が記載されている。
 それともう一つ、「中興武将傳略」として源頼朝から始まり、第三十一(豊臣)秀頼:秀吉二男、元和元年八月十八日(wikiでは慶長20年)自害で終わり、御當家御治世万々歳と結んでいる。
 この二つの記述の終わり方からして本書の発行時期が特定できないかと考えた。家康が幕府を開いたのが1603年で後桃園天皇の在位末1779年は、第十代徳川家治の時代になる。版元が当代の政権つまり徳川幕府に対し遠慮して秀頼自害までを記述し、その後の徳川の治世を「御當家御治世万々歳」と書いたのだろうと思う。それと本書の体裁、内容から判断するならば、節用集は室町時代から昭和初期にかけて出版された日本の用字集、国語辞典の一種とwikiにある。その国語辞典が江戸時代に入って辞典以外の付録-百科事典の部分が増えていったとある。本書では巻頭見開きの目次に「頭書目録繪入」として御公家鑑や書礼用文章、四季料理献立など実用的な辞典になっている。
 この「頭書」という表現は、江戸時代の節用集の典型である百科事典になった事を現している。また書体も室町期の楷書のみから行書・草書を二列併記する真草二行形式になっている。これも江戸時代の節用集であることを現している。 さらに明治期に入ると欧米の影響で五十音検索の国語辞典が登場し、節用集は昭和期にはいり発行されなくなったとwikiにある。本書の検索は江戸時代の「いろは」順でありこれらのことから江戸後期幕末までの発行ではないかと思う。最後に、巻末に「大坂道修町近江屋」の丸判が押してあった。もちろん調べたがそう簡単には分かりそうもない。いずれ府立図書館の上方関連部門に確かめに行こうと思っている。





2 件のコメント:

  1.  非常に面白い記事です。古きを尋ねるのも楽しいです。
     古き・・というと、大陸から伝来の思想などもそれを受け入れる素地があったものだけが根付いたのだと思います。節分も、もっとも気候が厳しい冬に病気にならないように願い、いよいよ近づいた春を祝う感情があればこその行事だと思います。そんなことに思いを馳せながら貴家でも「病魔退散」と豆を撒かれたことと思います。
     なお、大坂之絵図をメールで送付願えないでしょうか?この頃図書館にも行けないので、少し家に居て遊ばせていただきたいと思います。

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  2. たけやんです。
    チョコ有難うございます。また遊んであげてくださいね。

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