写真の本は、かなり以前、古本屋で見つけたもので題名は「米朝ばなし-上方落語地図」という本である。
最近大型書店で文庫本になっているのを見つけたが根強いファンがいるのだろう。
著者はご存知、桂米朝さんで上方(この場合は近畿一円としている)の土地に因んだ落語を地名の由来などをまじえて紹介している。そもそも上方という言葉の意味を米朝さんは「上方という言葉は元来、京都が都であった頃のことですから、今日では東京が上方のはずですが」と解説している。しかし、長い歴史(京都が都であった)で今も京阪神を上方と呼んでいるのだろう。上方舞、上方歌舞伎、上方落語という呼び方もある。
その上方落語を絶滅の危機(大げさではなく)から救ったのが米朝さんら上方落語の四天王と呼ばれた人たちであった。その米朝さんが今日亡くなった。
私の記憶にある米朝さんは、落語家らしからぬスーツ姿でTV番組の中で小松左京氏や高田好胤師らと文化的な会話を交わしている姿であった。だから落語家として見だしたのは、上方落語が寄席芸からTV番組に登場するようになってからである。最近は高座に出る事もなく、TVでも見かけなくなっていたが、、、89歳、大往生であったらしい。
さて、この本の中で私が一番好きな噺がある。「まめだ」という千日前の「三津寺」付近を舞台にした三田純市(落語作家・劇作家)さんの新作落語である。粗筋だけを書いて置く。
三津寺付近に住む端役の役者が稽古を終え、年老いた母親が待つ家に帰る途中、さした傘が急に重くなることが二、三日続いた。タヌキの悪さ(悪戯)と気付いた男がトンボ(宙返り)を切ると、小さな「まめだ」(関西ではタヌキの小さいのをこう呼ぶ)が転げ落ち逃げ去っていった。
そんな事があった後、老いた母親が家の店先で売る膏薬を小さな子どもが買いに来て、その日の売り上げの中に木の葉が混じる日が続いた。不思議なことがあるものだと思いつつ、数日が経った頃、早朝、三津寺の前で人が騒ぐので男と母親が見に行くと、体中に膏薬の貝殻をくっつけたまめだが死んでいた。それを見た男がすべて合点-トンボを切った時、転げ落ちて怪我をしたまめだが子どもに化け、銀杏の葉っぱで膏薬を買ったものの使い方(貝殻の中身の膏薬を出して塗る)がわからず貝殻のまま体に着けて死んでしまった。-した男はまめだを哀れに思い、和尚さんにお経をあげてもらう。線香の一本もあげ帰ろうとすると、サーッと秋風が吹き、寺の銀杏の葉っぱがまめだの死骸のまわりに吹き集った。
それを見て男が「見てみ、タヌキの仲間からぎょうさん香典が届いたがな」というサゲである。 合掌。
2015年3月21日土曜日
2015年3月7日土曜日
時代劇は今、
私たちの子供の頃、映画館の映画といえば「アラカン(嵐寛寿郎)の鞍馬天狗」が第1等の映画、チャンバラ映画だった。
昭和30年代、実家の隣が「アイスキャンデー屋」さんで、近くの映画館にアイスを卸していた。で、そのおっちゃんに付いていき、映画をタダで見せて貰うことが出来た。そう何時もゞもタダ、という訳にはいかないがタイミングが合えば潜り込めたのだ。
その頃の映画館は、週替わりの3本立て興行で、小さな町でも映画館は2~3館はあった。当然、封切館ではなく、同じフイルムをその2~3館で使い回しするのだ。上映が終わったフイルムを次の映画館に運ぶお兄ちゃんがおり、丸いブリキ缶に収めたフイルムを自転車の荷台にくくり付け、急いで運ぶ姿を見かけたものだ。たまに、前の映画館でトラブルがあると次の映画館ではフイルムの到着が遅れ観客の文句が出ることになる。
また、映写機の調子が悪いとスクリーンに「コマ」がダブって映り、これもまた観客から「二階建てになってるで~」と映写室に文句が飛ぶ。
そんな子供たちの楽しみだった時代劇のチャンバラ映画も家にテレビが買えるようになると映画館に通う回数も減り、子供たちの憧れの的は、「アラカン」からテレビの「ララミー牧場」や「ローハイド」の西部劇のカウボーイに移っていった。そんな子供たち、つまり私が大人になり、西部劇に飽きだした頃、映画やテレビに面白い時代劇が復活しだした。
「七人の侍」で名声を確立していた黒澤監督が「用心棒」「椿三十郎」で時代劇の面白さを再認識させてくれ、最近では山田洋次監督が「たそがれ清兵衛」で藤沢周平・時代小説の世界を見事に映像化してくれた。
小説の世界でも宇江佐真理、宮部みゆき、北原亜以子ら女流作家が時代小説のブームを興した。その北原亜以子の「深川澪通り」シリーズが、NHK木曜時代劇「とおりゃんせ」としてドラマ化され江戸庶民の暮らしと小さな事件を丁寧に描いた。そんな時代小説のブーム、かっての吉川英治や五味康祐以来の火付け役となったのが池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズだろう。
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らないうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識(し)らずに善事をたのしむ。」と平蔵が洩らす言葉に昔の勧善懲悪のチャンバラには無い池波ワールドにはまった。 そして「鬼平」をテレビドラマ化したシリーズが始まり、これも欠かさず見ることになった。画面の中で平蔵や密偵たちが生き生きと活躍する姿もさることながら、一話の中に必ず出てくる「食べ物の場面」も楽しみのひとつだった。で、この写真の徳利である。
「どこかで見たような、、、」と思われた人はかなりの「鬼平」通である。この徳利こそ鬼平や密偵たちが足しげく通う軍鶏鍋屋「五鐵」で使われていた徳利である。すっきりした姿が気に入り、あちこちの骨董市で探し回ったがどうしても見つからなかった。
それがどうして我が家の食卓にあるか?。快く譲ってくださった方に迷惑がかかるといけないので入手経路は明かされないが正真正銘「五鐵」で平蔵や密偵のおまさが手にしていた徳利である。(と私は確信している)最近はこの徳利を肴にして「鬼平」になったつもりで晩酌を楽しんでいる。
有難すぎて使えない、、、眺めるだけである。
昭和30年代、実家の隣が「アイスキャンデー屋」さんで、近くの映画館にアイスを卸していた。で、そのおっちゃんに付いていき、映画をタダで見せて貰うことが出来た。そう何時もゞもタダ、という訳にはいかないがタイミングが合えば潜り込めたのだ。
その頃の映画館は、週替わりの3本立て興行で、小さな町でも映画館は2~3館はあった。当然、封切館ではなく、同じフイルムをその2~3館で使い回しするのだ。上映が終わったフイルムを次の映画館に運ぶお兄ちゃんがおり、丸いブリキ缶に収めたフイルムを自転車の荷台にくくり付け、急いで運ぶ姿を見かけたものだ。たまに、前の映画館でトラブルがあると次の映画館ではフイルムの到着が遅れ観客の文句が出ることになる。
また、映写機の調子が悪いとスクリーンに「コマ」がダブって映り、これもまた観客から「二階建てになってるで~」と映写室に文句が飛ぶ。
そんな子供たちの楽しみだった時代劇のチャンバラ映画も家にテレビが買えるようになると映画館に通う回数も減り、子供たちの憧れの的は、「アラカン」からテレビの「ララミー牧場」や「ローハイド」の西部劇のカウボーイに移っていった。そんな子供たち、つまり私が大人になり、西部劇に飽きだした頃、映画やテレビに面白い時代劇が復活しだした。
「七人の侍」で名声を確立していた黒澤監督が「用心棒」「椿三十郎」で時代劇の面白さを再認識させてくれ、最近では山田洋次監督が「たそがれ清兵衛」で藤沢周平・時代小説の世界を見事に映像化してくれた。
小説の世界でも宇江佐真理、宮部みゆき、北原亜以子ら女流作家が時代小説のブームを興した。その北原亜以子の「深川澪通り」シリーズが、NHK木曜時代劇「とおりゃんせ」としてドラマ化され江戸庶民の暮らしと小さな事件を丁寧に描いた。そんな時代小説のブーム、かっての吉川英治や五味康祐以来の火付け役となったのが池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズだろう。
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らないうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識(し)らずに善事をたのしむ。」と平蔵が洩らす言葉に昔の勧善懲悪のチャンバラには無い池波ワールドにはまった。 そして「鬼平」をテレビドラマ化したシリーズが始まり、これも欠かさず見ることになった。画面の中で平蔵や密偵たちが生き生きと活躍する姿もさることながら、一話の中に必ず出てくる「食べ物の場面」も楽しみのひとつだった。で、この写真の徳利である。

それがどうして我が家の食卓にあるか?。快く譲ってくださった方に迷惑がかかるといけないので入手経路は明かされないが正真正銘「五鐵」で平蔵や密偵のおまさが手にしていた徳利である。(と私は確信している)最近はこの徳利を肴にして「鬼平」になったつもりで晩酌を楽しんでいる。
有難すぎて使えない、、、眺めるだけである。
2015年2月23日月曜日
今年も春の便りが
ことしも実家の八尾から届いた「若ごぼう」を色々な調理で味わった。ことしは初めて「かき揚げ」をやってみた。付いているレシピには30分ほど水に晒す、とあるが、長谷やん家のご指示通り、根も茎もさっと水に潜らせるだけにし、カラッと揚げた。ただし揚げたのは嫁はんで、いろんな料理の中で天ぷらだけは自分で出来ない。何故だかは分からないが、天ぷらだけは外で食べるものという感覚があるようだ。多分池波正太郎の食のエッセーに「親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつく」様に食べるべきだ、というのがあって、それを守っているのかもしれない。
でも、嫁はんの揚げる野菜の天ぷらは旨い。特にサツマイモと、三度豆が一等賞だ。
でも、嫁はんの揚げる野菜の天ぷらは旨い。特にサツマイモと、三度豆が一等賞だ。
2015年1月31日土曜日
2015文楽初春公演
2012年、大阪市の「市政改革プラン」で2014年までに文楽協会に対する運営補助金を原則廃止することが決められ、その後、協会との話し合いの中で興行収入に応じて補助金の額を決める事が一方的に押し付けられた。そして、昨年10月、来年度から全廃する旨、通知があったという事だ。
橋下市長の文楽を「商業演劇」の一部として、興行収入、つまり儲け、のみを求める姿勢についてはこれまで多くの識者がその誤りを指摘されてきた。
新春早々、この事に触れなければならない事に情けなさを感じるが決して悲観せず、一フアンとして支えていこうと思う。
さて、義姉にチケットを貰って文楽鑑賞に通いだして足かけ3年になる。今年も「初春文楽公演」を見て来た。今年は午前の一部のみにし、後は期間中に自分の都合に合わせ、幕ごとに観られる「幕見席」で全公演を見るつもりだ。
今春の演目は第一部「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」で幕開き、近畿地方の四季の情景を綴ったもので、夏の情景として海女の恋心を歌った景は、海女にちょっかいを出す蛸のしぐさがユーモラスで観客の爆笑を誘っていた。中でも良かったのが冬の情景で、春を待ちわびる鷺の化身の「鷺娘」が、降りしきる雪の中を舞い踊る姿が華麗であった。奈良の猿沢の池と遠景の塔を見事に描いた舞台装置と鷺娘の白装束でほとんど色彩はないのに春を待ちわびる心、つまり色彩を感じさせる見事な演出であった。初春公演という事もあってか一等席、二等席も満席でこの状態をキープできればいいのにと思い、これからも通い続けていこうと思った。
追記
今年度は、住大夫さんの引退公演もあり、年間10万5000人の支給条件を満たし満額支給されることになりました。しかし、来年度からはこの方式も廃止し、公演ごとに助成金を申請する方式になるとの通知をしたらしい。
橋下市長の文楽を「商業演劇」の一部として、興行収入、つまり儲け、のみを求める姿勢についてはこれまで多くの識者がその誤りを指摘されてきた。
新春早々、この事に触れなければならない事に情けなさを感じるが決して悲観せず、一フアンとして支えていこうと思う。
さて、義姉にチケットを貰って文楽鑑賞に通いだして足かけ3年になる。今年も「初春文楽公演」を見て来た。今年は午前の一部のみにし、後は期間中に自分の都合に合わせ、幕ごとに観られる「幕見席」で全公演を見るつもりだ。
今春の演目は第一部「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」で幕開き、近畿地方の四季の情景を綴ったもので、夏の情景として海女の恋心を歌った景は、海女にちょっかいを出す蛸のしぐさがユーモラスで観客の爆笑を誘っていた。中でも良かったのが冬の情景で、春を待ちわびる鷺の化身の「鷺娘」が、降りしきる雪の中を舞い踊る姿が華麗であった。奈良の猿沢の池と遠景の塔を見事に描いた舞台装置と鷺娘の白装束でほとんど色彩はないのに春を待ちわびる心、つまり色彩を感じさせる見事な演出であった。初春公演という事もあってか一等席、二等席も満席でこの状態をキープできればいいのにと思い、これからも通い続けていこうと思った。

今年度は、住大夫さんの引退公演もあり、年間10万5000人の支給条件を満たし満額支給されることになりました。しかし、来年度からはこの方式も廃止し、公演ごとに助成金を申請する方式になるとの通知をしたらしい。
2015年1月18日日曜日
マスコミの自主規制は存在するのか
「毎日」夕刊の特集ワイド「この国はどこへ行こうとしているのか-巨大与党の下で」に映画監督の山田洋二さんが興味深い話を語っていた。
インタビューの記者が持参した12月15日付の総選挙の結果を報じた記事の中の安倍首相のほころんだ顔の写真を見て「喜んでいるね」とつぶやいた。
山田監督は父親が国策会社の満鉄に勤めていた関係で旧満州で暮らし日本に引き上げてから終戦を迎え、そして山口県の中学生の時に「新憲法」が施行された。その時の社会科の先生が「あたらしい憲法のはなし」の授業の中で「ドイツやイタリアでは政党をひとつにまとめた、日本では政党をやめてしまった事があった。その結果、国民の意見が自由にきかれなくなり、個人の権利が踏みにじられ、とうとう恐ろしい戦争を始めるようになった」と語った。それは、巨大与党、ひいては一党独裁が招く恐ろしい結果だという反省だった。
今回の総選挙の投票率52%という数字を受けて、山田監督は「国民の半分が投票しなかった、安倍さんたちは悩んでいるのだろうか?-中略-この結果に大喜びしてちゃいけないんだ」。また、安倍首相が特定秘密保護法に絡んで「スパイやテロリストが相手であって、国民は全く関係ない、例えば映画が作れなくなったら私はすぐ首相を辞めてもいい」と発言したことについて「特定秘密保護法に反対する映画人の会」の一人として次のエピソードを紹介、「黒澤監督のデビュー作、『姿三四郎』の検閲試写会でのこと、検閲の為同席していた陸軍将校が『これはラブシーンと云って、英米思想でありカットすべきだ』と言い試写室の空気は異様な状態になったがその時、同席していた小津安二郎監督が『100点満点で採点すれば120点だ、黒澤君オメデトウ』と、将校の顔は真っ赤になったが検閲は無事通過した」という話だ。
山田監督は「その当時も英米思想がいけないという法律はどこにもないのだけれど将校や官僚、権力者が無茶苦茶な事を言って通ってしまう、それをどう防ぐか政府は真剣に考えなければいけないはずです」「戦後生まれの政治家は、戦争を肌で知らないからその怖さを感じていないんじゃないかな」と語っている。
そして最後に、今年12月に公開予定の映画「母と暮らせば」について。原爆で息子を失った母親の物語だそうだが「被爆国日本で、しかも福島第一原発の事故後に巨大与党は原発再稼働をすすめている。今はなんたって経済です、と言うとみんな黙ってしまう、まずはお金だ、と。本当にそうなんだろうか、食えなきゃどうしようもないというのは俗論だと思う。子育てのとき、まず金儲けを考える人間を育てようとしますか、正しい志を抱く若者を育てなければ、という事に誰も反対しないでしょう」
正しい志。この国の志はどこにあったのか。「世界の平和に役立つ国であり続けること、憲法9条に書かれているのだけれど。そこからいろんな問題を考えてどうしていけないのだろうか」
記者は、9条を国として、人としての志として捉える、その姿勢にはっとした、と記述している。
以上がこの特集ワイドでの山田監督の話の要旨であるが、実はこの記事はある評論家のツイッターの中で見つけたもので我が家の毎日新聞9日付けの紙面をくまなく探したのだがどこにも載っていなかった。そこで「毎日」に問い合わせたところ、「9日付けの山田監督の記事は東京夕刊に掲載したもので大阪夕刊には掲載する予定はございません。紙面の都合で東京と同じ記事を載せられない事もあります。どうぞご理解願います。」という回答がきた。
夕刊の「特集ワイド」は東京も大阪も同じテーマで掲載しているものだと思っていたが東京に載せ大阪に載せない、またその反対もあるという事を初めて知った。しかし、大阪ローカルのことならいざ知らず、山田監督の語った内容は決して東京ローカルの話ではない、この国の在り様を語っているのだ。大阪版に載せない判断基準は何なのだろうか?
私は昨今のマスコミ各社の首脳陣と安倍首相が頻繁に会食をし、その費用を各社の記者会がわり勘で負担しているという事実を「赤旗」の記事で読んだが、まさかに大阪本社の首脳陣が自主規制したとは思いたくない。が、山田監督が語った自主規制の話と何となく関係しているようで後味の悪い、ざわざわとした気分が続いている。
インタビューの記者が持参した12月15日付の総選挙の結果を報じた記事の中の安倍首相のほころんだ顔の写真を見て「喜んでいるね」とつぶやいた。
山田監督は父親が国策会社の満鉄に勤めていた関係で旧満州で暮らし日本に引き上げてから終戦を迎え、そして山口県の中学生の時に「新憲法」が施行された。その時の社会科の先生が「あたらしい憲法のはなし」の授業の中で「ドイツやイタリアでは政党をひとつにまとめた、日本では政党をやめてしまった事があった。その結果、国民の意見が自由にきかれなくなり、個人の権利が踏みにじられ、とうとう恐ろしい戦争を始めるようになった」と語った。それは、巨大与党、ひいては一党独裁が招く恐ろしい結果だという反省だった。
今回の総選挙の投票率52%という数字を受けて、山田監督は「国民の半分が投票しなかった、安倍さんたちは悩んでいるのだろうか?-中略-この結果に大喜びしてちゃいけないんだ」。また、安倍首相が特定秘密保護法に絡んで「スパイやテロリストが相手であって、国民は全く関係ない、例えば映画が作れなくなったら私はすぐ首相を辞めてもいい」と発言したことについて「特定秘密保護法に反対する映画人の会」の一人として次のエピソードを紹介、「黒澤監督のデビュー作、『姿三四郎』の検閲試写会でのこと、検閲の為同席していた陸軍将校が『これはラブシーンと云って、英米思想でありカットすべきだ』と言い試写室の空気は異様な状態になったがその時、同席していた小津安二郎監督が『100点満点で採点すれば120点だ、黒澤君オメデトウ』と、将校の顔は真っ赤になったが検閲は無事通過した」という話だ。
山田監督は「その当時も英米思想がいけないという法律はどこにもないのだけれど将校や官僚、権力者が無茶苦茶な事を言って通ってしまう、それをどう防ぐか政府は真剣に考えなければいけないはずです」「戦後生まれの政治家は、戦争を肌で知らないからその怖さを感じていないんじゃないかな」と語っている。
そして最後に、今年12月に公開予定の映画「母と暮らせば」について。原爆で息子を失った母親の物語だそうだが「被爆国日本で、しかも福島第一原発の事故後に巨大与党は原発再稼働をすすめている。今はなんたって経済です、と言うとみんな黙ってしまう、まずはお金だ、と。本当にそうなんだろうか、食えなきゃどうしようもないというのは俗論だと思う。子育てのとき、まず金儲けを考える人間を育てようとしますか、正しい志を抱く若者を育てなければ、という事に誰も反対しないでしょう」
正しい志。この国の志はどこにあったのか。「世界の平和に役立つ国であり続けること、憲法9条に書かれているのだけれど。そこからいろんな問題を考えてどうしていけないのだろうか」
記者は、9条を国として、人としての志として捉える、その姿勢にはっとした、と記述している。
以上がこの特集ワイドでの山田監督の話の要旨であるが、実はこの記事はある評論家のツイッターの中で見つけたもので我が家の毎日新聞9日付けの紙面をくまなく探したのだがどこにも載っていなかった。そこで「毎日」に問い合わせたところ、「9日付けの山田監督の記事は東京夕刊に掲載したもので大阪夕刊には掲載する予定はございません。紙面の都合で東京と同じ記事を載せられない事もあります。どうぞご理解願います。」という回答がきた。
夕刊の「特集ワイド」は東京も大阪も同じテーマで掲載しているものだと思っていたが東京に載せ大阪に載せない、またその反対もあるという事を初めて知った。しかし、大阪ローカルのことならいざ知らず、山田監督の語った内容は決して東京ローカルの話ではない、この国の在り様を語っているのだ。大阪版に載せない判断基準は何なのだろうか?
私は昨今のマスコミ各社の首脳陣と安倍首相が頻繁に会食をし、その費用を各社の記者会がわり勘で負担しているという事実を「赤旗」の記事で読んだが、まさかに大阪本社の首脳陣が自主規制したとは思いたくない。が、山田監督が語った自主規制の話と何となく関係しているようで後味の悪い、ざわざわとした気分が続いている。
2015年1月8日木曜日
正月の二日、三日、大阪城の天守閣前公園で「ちょろけん踊り」を行うという記事を年末に目にしていたが実家や義父宅での新年会などで見に行けなかった。
その日の夜のニュースや新聞の記事を楽しみにしていたがまったく報道はなかった。(あったのか知れないが、)
ちょろけん踊りは昔の正月行事で家々を回り、「ちょろが参じました。ちょろを見る人は福徳来る。厄難、疫病皆取り拂う。お子供衆には、疱瘡が軽い」などと言って割竹を打つ。正月ならでは味ははれぬ門付けの情景である」と私の愛読書「上方」(と云っても図書館の本であるが)に写真や挿絵で解説が載っている。
この写真は去年のモノの様であるが「上方」に載っている写真や挿絵とほとんど変わらないモノでよく出来ている。
下の挿絵は、正月行事に限ったものではないが明治初期の大道芸を紹介したものである。上の人物は細長い編み籠に向かって走っている。「籠抜けなり、廻り二三尺位、渡り四五尺の籠を大道に据え、身軽に出でたる男、籠の口径よりもゆれるかに見ゆる菅笠を被り、半町程も向うより走り来たりて、身を横さまにシュッと抜けるなり、後には籠の中に燈火を点じ灯の消えざるに抜けし事もありし」と書いている。
この挿絵には載っていないが「砂絵」というのもあったようだ。「御霊社、天満社などの境内に砂書き坊主といふ者居れり。色染めしたる砂を掌に握り掃き清めた地に巧みに色々の繪描けり、
一色を掴みて、ケツからケツ天満宮などと唱えて草書文字を下から上へ天満宮と見事に書きなすなど妙技なり。自ら外に類なし砂書き上人などと称し立ち並ぶ子供等をボロ糞に叱り飛ばしなどしていた」と書いてあって面白い。
これなどは、テレビやスマホのゲームに夢中になっている子供や若者にとって新鮮な驚き、テーブルマジックに歓声を上げるのと似ているように思う。来年はぜひ、復活してもらいたいと思う。
その日の夜のニュースや新聞の記事を楽しみにしていたがまったく報道はなかった。(あったのか知れないが、)
ちょろけん踊りは昔の正月行事で家々を回り、「ちょろが参じました。ちょろを見る人は福徳来る。厄難、疫病皆取り拂う。お子供衆には、疱瘡が軽い」などと言って割竹を打つ。正月ならでは味ははれぬ門付けの情景である」と私の愛読書「上方」(と云っても図書館の本であるが)に写真や挿絵で解説が載っている。
この写真は去年のモノの様であるが「上方」に載っている写真や挿絵とほとんど変わらないモノでよく出来ている。
下の挿絵は、正月行事に限ったものではないが明治初期の大道芸を紹介したものである。上の人物は細長い編み籠に向かって走っている。「籠抜けなり、廻り二三尺位、渡り四五尺の籠を大道に据え、身軽に出でたる男、籠の口径よりもゆれるかに見ゆる菅笠を被り、半町程も向うより走り来たりて、身を横さまにシュッと抜けるなり、後には籠の中に燈火を点じ灯の消えざるに抜けし事もありし」と書いている。
この挿絵には載っていないが「砂絵」というのもあったようだ。「御霊社、天満社などの境内に砂書き坊主といふ者居れり。色染めしたる砂を掌に握り掃き清めた地に巧みに色々の繪描けり、
一色を掴みて、ケツからケツ天満宮などと唱えて草書文字を下から上へ天満宮と見事に書きなすなど妙技なり。自ら外に類なし砂書き上人などと称し立ち並ぶ子供等をボロ糞に叱り飛ばしなどしていた」と書いてあって面白い。
これなどは、テレビやスマホのゲームに夢中になっている子供や若者にとって新鮮な驚き、テーブルマジックに歓声を上げるのと似ているように思う。来年はぜひ、復活してもらいたいと思う。
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