正月の二日、三日、大阪城の天守閣前公園で「ちょろけん踊り」を行うという記事を年末に目にしていたが実家や義父宅での新年会などで見に行けなかった。
その日の夜のニュースや新聞の記事を楽しみにしていたがまったく報道はなかった。(あったのか知れないが、)
ちょろけん踊りは昔の正月行事で家々を回り、「ちょろが参じました。ちょろを見る人は福徳来る。厄難、疫病皆取り拂う。お子供衆には、疱瘡が軽い」などと言って割竹を打つ。正月ならでは味ははれぬ門付けの情景である」と私の愛読書「上方」(と云っても図書館の本であるが)に写真や挿絵で解説が載っている。
この写真は去年のモノの様であるが「上方」に載っている写真や挿絵とほとんど変わらないモノでよく出来ている。
下の挿絵は、正月行事に限ったものではないが明治初期の大道芸を紹介したものである。上の人物は細長い編み籠に向かって走っている。「籠抜けなり、廻り二三尺位、渡り四五尺の籠を大道に据え、身軽に出でたる男、籠の口径よりもゆれるかに見ゆる菅笠を被り、半町程も向うより走り来たりて、身を横さまにシュッと抜けるなり、後には籠の中に燈火を点じ灯の消えざるに抜けし事もありし」と書いている。
この挿絵には載っていないが「砂絵」というのもあったようだ。「御霊社、天満社などの境内に砂書き坊主といふ者居れり。色染めしたる砂を掌に握り掃き清めた地に巧みに色々の繪描けり、
一色を掴みて、ケツからケツ天満宮などと唱えて草書文字を下から上へ天満宮と見事に書きなすなど妙技なり。自ら外に類なし砂書き上人などと称し立ち並ぶ子供等をボロ糞に叱り飛ばしなどしていた」と書いてあって面白い。
これなどは、テレビやスマホのゲームに夢中になっている子供や若者にとって新鮮な驚き、テーブルマジックに歓声を上げるのと似ているように思う。来年はぜひ、復活してもらいたいと思う。
漫才が万歳から出て寄席の芸になったように、これも口上に祝福芸の痕跡を大いに残してはいるものの、その格好には既に「神との交流」の記憶はなくなっているように思います。
返信削除致し方のないことでしょう。
さて、ところが、私は、阪急三番街のバーゲンのCMに、ついその先に三河万歳の祝福芸が見えるような気がして心が騒いでおります。
〽これはステキな ちょいと生かす 〽アイヤ~~
でも、このCMに胸躍る方々は三番街に行きそうもなく、三番街で買ってくれそうな若い人たちはポカンとしていることでしょう。
となると、このCMはよかったのか悪かったのか?
私個人は鉦を五つ鳴らしたいのですが・・・。
ミス・ハワイ&暁伸さんの懐かしのテーマソングですね。最近、私も良く思うのですが三番街のCMのような最新のCMと、こんなに古い歌が何故使われるのか?最新と懐古はひょっとしてベストマッチなのでは?そんなことはとにかく、浪曲で鍛えた伸さんの声は癒しの揺らぎを持っていました。
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