2015年1月18日日曜日

マスコミの自主規制は存在するのか

 「毎日」夕刊の特集ワイド「この国はどこへ行こうとしているのか-巨大与党の下で」に映画監督の山田洋二さんが興味深い話を語っていた。
 インタビューの記者が持参した12月15日付の総選挙の結果を報じた記事の中の安倍首相のほころんだ顔の写真を見て「喜んでいるね」とつぶやいた。
 山田監督は父親が国策会社の満鉄に勤めていた関係で旧満州で暮らし日本に引き上げてから終戦を迎え、そして山口県の中学生の時に「新憲法」が施行された。その時の社会科の先生が「あたらしい憲法のはなし」の授業の中で「ドイツやイタリアでは政党をひとつにまとめた、日本では政党をやめてしまった事があった。その結果、国民の意見が自由にきかれなくなり、個人の権利が踏みにじられ、とうとう恐ろしい戦争を始めるようになった」と語った。それは、巨大与党、ひいては一党独裁が招く恐ろしい結果だという反省だった。
 今回の総選挙の投票率52%という数字を受けて、山田監督は「国民の半分が投票しなかった、安倍さんたちは悩んでいるのだろうか?-中略-この結果に大喜びしてちゃいけないんだ」。また、安倍首相が特定秘密保護法に絡んで「スパイやテロリストが相手であって、国民は全く関係ない、例えば映画が作れなくなったら私はすぐ首相を辞めてもいい」と発言したことについて「特定秘密保護法に反対する映画人の会」の一人として次のエピソードを紹介、「黒澤監督のデビュー作、『姿三四郎』の検閲試写会でのこと、検閲の為同席していた陸軍将校が『これはラブシーンと云って、英米思想でありカットすべきだ』と言い試写室の空気は異様な状態になったがその時、同席していた小津安二郎監督が『100点満点で採点すれば120点だ、黒澤君オメデトウ』と、将校の顔は真っ赤になったが検閲は無事通過した」という話だ。
 山田監督は「その当時も英米思想がいけないという法律はどこにもないのだけれど将校や官僚、権力者が無茶苦茶な事を言って通ってしまう、それをどう防ぐか政府は真剣に考えなければいけないはずです」「戦後生まれの政治家は、戦争を肌で知らないからその怖さを感じていないんじゃないかな」と語っている。
 そして最後に、今年12月に公開予定の映画「母と暮らせば」について。原爆で息子を失った母親の物語だそうだが「被爆国日本で、しかも福島第一原発の事故後に巨大与党は原発再稼働をすすめている。今はなんたって経済です、と言うとみんな黙ってしまう、まずはお金だ、と。本当にそうなんだろうか、食えなきゃどうしようもないというのは俗論だと思う。子育てのとき、まず金儲けを考える人間を育てようとしますか、正しい志を抱く若者を育てなければ、という事に誰も反対しないでしょう」
 正しい志。この国の志はどこにあったのか。「世界の平和に役立つ国であり続けること、憲法9条に書かれているのだけれど。そこからいろんな問題を考えてどうしていけないのだろうか」
 記者は、9条を国として、人としての志として捉える、その姿勢にはっとした、と記述している。
 以上がこの特集ワイドでの山田監督の話の要旨であるが、実はこの記事はある評論家のツイッターの中で見つけたもので我が家の毎日新聞9日付けの紙面をくまなく探したのだがどこにも載っていなかった。そこで「毎日」に問い合わせたところ、「9日付けの山田監督の記事は東京夕刊に掲載したもので大阪夕刊には掲載する予定はございません。紙面の都合で東京と同じ記事を載せられない事もあります。どうぞご理解願います。」という回答がきた。
 夕刊の「特集ワイド」は東京も大阪も同じテーマで掲載しているものだと思っていたが東京に載せ大阪に載せない、またその反対もあるという事を初めて知った。しかし、大阪ローカルのことならいざ知らず、山田監督の語った内容は決して東京ローカルの話ではない、この国の在り様を語っているのだ。大阪版に載せない判断基準は何なのだろうか?
 私は昨今のマスコミ各社の首脳陣と安倍首相が頻繁に会食をし、その費用を各社の記者会がわり勘で負担しているという事実を「赤旗」の記事で読んだが、まさかに大阪本社の首脳陣が自主規制したとは思いたくない。が、山田監督が語った自主規制の話と何となく関係しているようで後味の悪い、ざわざわとした気分が続いている。

2 件のコメント:

  1.  ひげ親父さん、久しぶりにコメントさせて頂きます。
     秘密保護法の法案審議の際、当初腰の重かったメディアも終盤になってその危険性を指摘する論陣を張るようになりました。その際の論拠の一つが、成立してしまえば権力の圧力に対してメディアの側が自主規制するようになり、結果として言論の自由が侵されることになる、というものでした。
     ひげ親父さんの記事は、まさにそんな状況がジワリと日本の社会に生まれつつあるの
    ではないかとという恐れを抱きました。

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  2.  「その当時も英米思想がいけないという法律はどこにもなかったが、・・そうなった怖さ」が私の心に響いた一番の核心です。
     そして、そういう状況は今現在の社会に十分に生まれ育っているというところが更なる核心でしょう。
     桑田佳祐が年末ライブを謝罪?し、爆笑問題がNHKに関わるラジオでの発言を謝罪し、教科書会社は慰安婦の言葉を訂正?し、この日々の積み重ねこそが「戦前」なのだと、皆が大きな声で指摘しなければならないように思っています。

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