昨夜が十五夜、今夜が満月で、スーパームーンだそうである。確かに昨晩、東向きの台所の窓から見事な月を見ることが出来た。
「世界はなぜ月をめざすのか」(佐伯和人著:講談社)によれば世界は今、「月探査ブーム」を迎えているのだそうだ。2013年12月、中国は月着陸探査機「嫦蛾」(じょうが:月の異名)で世界3番目に月面着陸(無人)に成功した。といっても「月着陸はアポロが50年近くも前に成功しているし~」程度の反応で、あまりニュースにもならなかったようだ。
しかし、世間一般の関心とは別にアメリカはじめ世界の国々が月の資源をめざし、巨額の予算を使いながら月探査をくり広げているという話だ。まだ読み始めなので詳しい話はいずれとして、取っ付きに「出たでた月が、丸~いまぁ~るい盆のような月が」という唱歌の話が出てくる。
丸い大きな月が夜空に輝き、まるで「お盆」のようだと唱っているのだが、この本の作者は「月は球体であって太陽光によって照らされるなら真ん中が明るく縁は暗く見えるはずだ」と子供心に疑問を抱く。長じて研究者となり、月の表面に「衝効果」なるものがあることを知る。
衝効果とは、月に差し込む光の方向と、観測する方向が近い時、極端に明るくなる現象。と難しくなるので作者は簡単な実験でこの謎を解き明かしている。ピンポン玉にペンキを塗ったものと、表面に食塩を付着させたものを用意し暗闇の中、ライトを照らしてみるとペンキを塗ったものは真ん中が明るく縁が暗く見え、一方、食塩を付着させたピンポン玉は全体が明るく「お盆」のように見えている。(本の中には実験写真もある)この食塩の役割を果たしているのが本物の月面では、岩石が砕けて出来た細かい灰色の粉だという。
太陽と地球と月が一直線上に並んだ満月の時、つまり月を見る我々の方向と太陽の光の方向が近い位置にあり、衝効果により、より明るく見え、月の表面に一面に積もった灰色の岩石の粉の影が映りにくくなることにより縁まで明るく見えるという事らしい。私には満月が半月に比べ2倍の明るさではなく、それ以上に明るく見えるという「衝効果」の半分は分かったがピンポン玉の食塩と月の表面の細かい岩石の粉がなぜ球体の縁を明るく見えさすのかが分かりづらいが自己流に考え、乱反射によりお互いの影を消し合うのでは、と考えることにした。
まあ~難しい話はこれくらいにして今夜も満月を見ることにしよう。昨晩、長谷やん宅は老夫婦二人の月見だったそうだが、我が家は嫁はんが義父宅に泊まっており(介護と云っても、もしもの緊急時に備え、という程度)私一人のやや寂しいお月見になる。
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私の大好きなETのスーパームーン |
追加
「衝効果」について要約して箇条書きにしました。
・作者は当時、日本初の月探査機「かぐや」からのデーターを活用し月の
表面の色を解析することにより、月の鉱物の研究をしていた。
・その為に月の物質の光の反射率を測定する必要があった。
・反射率を正確に計るためには見かけの明るさではなく計る場所や光の
入射角などを考慮し補正する必要があった。
・そして「月の表面の光散乱特性」(入射した光がどの方向へ、どれだけ
反射するかを立体的に調べたもの)により、月の表面には「衝効果」が
あることがわかった。
で、ブログ記事の最初の「衝効果」によって満月の時により明るく見える、という事が分かるのですが、やっぱり、月の全体、縁まで明るく見える「お盆」の様に見えるという事の説明にはなかなか行き着きません。
私の周りの人々に意見を求めても最初に出てくる言葉は「乱反射」でした。素人の発想ではこれが「正解」という事で次のスーパームーンまでに答を見つけるよう宿題にしたいと思います。
もはや日常生活の一部、仕事帰りに一寸聞いていこう、というような感覚で行われている梅田ヨドバシカメラ前のSEALDs関西の街頭宣伝だ。
昨日も毎回参加している友人のお誘いのメールがあり、OB会の会議とその打ち上げ後、短時間参加した。
まさに、帰り道のついでに一寸寄ったという感じだ。やっぱり長く続けようと思ったらこういう感じがいい!のではと身勝手に納得した。
昨日はゲストスピーチで民主党の福山さん(国会で大演説をした)と共産党のエース辰巳コータローさんが訴えた。当日は午後に共産党の志位委員長と民主党の岡田代表が会談したこともあって、二人のスピーチ後も、「野党は共闘せよ!」のコールが続いた。最後にスピーチした若者は「19日の夜の国会を取り囲むひとたちの中で僕は希望しか湧かないんです!」と言った。またまた「なにわオールズ」のおっちゃん達を感激させてくれた。
sealds関西が二日続きで街頭宣伝をやった。友人は昨日も参加したというので私は今日だけちょこっと参加した。
梅田ヨドバシカメラ前と向かいの大阪駅2階のテラス、歩道橋はいっぱいの人、人、であった。若い人が次々に宣伝カーの上でスピーチをする。彼らの手にはスマホが、そう今の若者は鴻池委員長の様に机の下のメモに頼らない。スマホにレポしておいたスピーチを読み上げるのだ。
これだったら暗い夜の街頭でもOKなんだと友人が教えてくれた。へ~そんな風になってるのか、と感心した。
もう一つ感動したのが街宣の前の道路を何台もの生コンミキサー車が通過していく。関西生コン支部の組合員が運転してパレードをしてくれているのだ。車体の横には思い思いのスピーチを書いた横断幕が張り付けてある。
この光景を見て我々高齢者は「関ナマや」とすぐわかるのだが、若者たちにはこのミキサー車の正体がわからないようだ。帰宅して見た彼らのブログには「梅田ヨドバシ前がすごいことになっている」「生コン車来た!」と驚いているがこの車についてはコメントがない。時代だろうか?この車の正体と連帯の行動を知ったら若者たちもきっと感動するだろう。
私たち高齢者二人は勿論感動し、「これで少しは世の中変わっていくだろうな!」と述べあって帰宅した。
奈良国立博物館の会館120年記念特別展「白鳳-花ひらく仏教美術」を見に行った。義父から無料招待券を貰ったからだ。(読売新聞が主催者団体のひとつ)
新聞社が購読者へのサービスで配るこの種の招待券や優待券はなかなか侮れない、当日券は1,500円もするのだから。
下世話な話はこれくらいにし、白鳳期の仏像の美しさは万人の認める処らしい。今回は薬師寺の国宝「月光菩薩立像」や「聖観世音菩薩立像」が展示された。
神秘にあふれた飛鳥仏や成熟した天平彫刻とは違う若々しい金銅仏にその魅力があるらしい。確かに「聖観世音菩薩立像」には青年期の仏のような立ち姿が凛々しい。
今回私は「月光菩薩立像」の雄大さに圧倒された。特に今回の展示ではそのライティングが見事でしばし見惚れた。そして、今回思いがけずその実物を目の当りにして嫁はん共ども大興奮したのが薬師寺東塔の水煙である。
教科書で見たり、実際に薬師寺に足を運んでも下から遠く見上げるだけである。それが60センチ足らずの目の当りに見られるのである。それもこれも平成21年から始まった国宝「東塔」の解体修理のお蔭である。水煙は平成23年に特別公開されたがその時は見逃したので今回思いもかけず見ることが出来てラッキーであった。
かのフェノロサが「凍れる音楽」と称賛したという「東塔」。巨大な水煙の中で舞う飛天や横笛を吹く天人の姿を目の当たりにした訳ではなかろうが、東塔を見上げながら説明を受け、彼が「凍れる音楽」と称賛した気持ちが私にも何となくわかるような気がした。
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今回の展示とは別写真 |
8月30日の扇町大集会に参加してくれた友人が「東京は連日のように集会を開いているのに、大阪は少ないんだね」、「もっとやらないとダメだよね」という励ましとも、催促ともいうべきメールがあって,急いで調べたら、大阪憲法会議が9月7日から11日まで連日「たそがれ市民パレード」をやっている事がわかり、二人で参加した。
集合場所の中之島公会堂の前に着くと何人かのOBたちが集まっていた。特に声をかけていなかったのだが。
全体の参加者数も少ないのだが、こうして自発的に、持続的に取り組むことが大事なんだろうと思う。
「戦争法案」に賛成する読売、産経新聞などが30日の国会包囲行動に集った人数をいかに少なく見せようかと苦心していたり、「デモは否定しないが、こんな人数のデモで国家の意志が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」と宣った橋下大阪市長らに対する一つの回答になるのではないだろうか。
仮に「戦争法案」が通ろうとこのデモ、パレードの波は消えることはない。自民党の谷垣幹事長は来週中の採決が難しくなり、19日からの連休に入ってしまえば不測の事態も想定されるとし、「金曜(18日)夜には仕事帰りにデモに参加する人が多い。平日の明るい時間に採決してもらいたい」と党の会議で語ったそうだ。
人数の多さでだけでなく、止むことの無いこの声を恐れているのは間違いなく政府と自民・公明与党だ!15日にはチラシの如くなんばで大宣伝がある。また友人を誘おうと思う。
昨日、尼崎市で「中山きく」さんの講演会があった。中山さんは4年前、昔の仕事仲間の旅行会で沖縄に行き、沖縄戦の戦跡めぐりをしたときに案内をして頂いた方だ。(2011年3月のブログ)講演会といっても尼崎市が取り組んでいる「公民館平和教育事業」の一環として企画されたもので手作り感いっぱいの会場だった。それでも親子連れを中心に60人くらいが参加した。
中山さんは苛烈を極めた沖縄戦の中で「白梅学徒隊」として傷病兵の看護にあたった。看護といっても、薄暗いガマ(自然の洞窟を利用した野戦病院のようなもの)の中で満足な医薬品もなく、毎夕運ばれてくる重症の兵隊さんの看護に夢中で働いたという。そんな悲惨な体験を沖縄県退職教職員会女性部が作った「きくさんの沖縄戦」という絵本を使い、ハリのある声で1時間半話された。
現在、86歳という高齢、杖を使ってはおられるが4年前にガイドして頂いた時より声が若々しく聞こえた。話の最後を「私は最期は手りゅう弾で自決しようと思ったが親友の声で思い止まり、今日に至った。亡くなった22名の白梅学徒隊の為にもと戦後50年たって沖縄戦の話を語り始めた。戦争は二度としてはいけない、沖縄の言葉『命どぅ宝』平和が一番です。」と締めくくられた。
パンフレットに「戦争は突然来ないのよ。平和に逆行していると思ったら止めるよう行動しなさい」と。86歳の言葉を噛みしめ「戦争法案」を廃案にするために頑張ろうとあらためて決意させていただいた。
帰り道JR大阪駅に着いてホームを歩いていると頭上から神楽が聞こえてくる。太鼓と笛のあの神楽の何とも言えないリズムが私の足をホーム最上階の広場に誘っていく。特設演舞場では広島の「塩瀬神楽団」が勇壮な神楽を舞っていた。異様に大きい鬼の面をつけた舞い手の華麗なステップ、鬼を退治する武者とが絡んだ圧巻の舞が20分以上も続き、太鼓、笛の演奏にも力が入る。見始めてから約40分、最後は持っていた荷物も下に降ろし、思いっきり拍手をしていた。
良い土曜日だった。