2013年5月30日木曜日

三度、歴史に学ぶ


 528日付け「毎日」の特集ワイドで「この国はどこへ行こうとしているのか―憲法よ」という新シリーズが始まった。参院選で自民党が憲法改正を争点にする姿勢を見せているが、国民はその必要性を感じているのだろうか?という観点で識者に憲法への思いを聞く、というシリーズ。
 第1回目は永六輔さん。50年近く前にラジオの深夜放送で憲法全文を朗読したことがあり、リスナーから「憲法の条文の意味は」とか「どんな字なのか」など多くの反響があり、私(永さん)が感じた事は、「言葉が難しい、ですから中学生が読んで理解できる文章に、耳で聞いてわかる憲法に改正すべきです。その立場で言えば私は改正反対ではありません」と。60年以上ラジオとともに歩いてきた永さんは、耳から入って理解することの大切さをまず説いた上で「官僚が書いたメモを基に答弁するような政治家が憲法改正の必要性を述べても何も伝わらない」と言う。
 この後、憲法99条について「(これは)憲法を変えてはいけないという条文です。天皇陛下といえども変えられない。それなのに国会議員が変えると言い出すのはおかしい。聖徳太子の『十七条憲法』はそもそも役人に守らせる規則でした。その精神が今の99条に残っている」と熱を帯びた口調で語る。
 自民党の改正案では憲法尊重擁護義務の対象を全国民に広げようとしている。「国民に義務を課すなんてちゃんちゃらおかしいですよ。憲法は国民を守るためのルール。それなのに99条を変えると言い出すなんて、政治家が憲法を勉強してこなかった証です」と言い切る。そして、ここからが今回、私が伝えたいことの一番重要な点である。永さん曰く「憲法は『この国をこうしたい』ということが書いてあります。政治や外交と違い、憲法は夢でいいんです」記者が「夢なんですか?」と驚くと「憲法はね、こうありたいという夢なんですよ。簡単に書き直したり、補足するものじゃない。だって夢は改正したりするものじゃないでしょう。」
 何とわかりやすく、そして、日本国憲法の精神をズバリ、言い当てているように思う。永さんの「憲法-夢論」は、戦中、戦後の混乱の中を生き、「新しい憲法はキラキラと輝いていた」と、同じく戦争を知る作家の井上ひさし、野坂昭如、俳優の小沢昭一さんらと共に平和の大切さを訴えてきた。その井上さんも小沢さんも元々ラジオで活躍した世代だという。今は亡き小沢さんは「戦争を語れるのはラジオ世代」と言っていた。今、憲法の危機を実感するとともに、この事態を招いた責任は、自分たち戦争世代にあると受け止めていると言う。「戦争の恐ろしさや愚かさを伝えるため行動してきたつもりだったが、怠慢だったかも」とも語っている。そして、今のテレビ世代はどうか、「安倍首相や橋下市長ら今の政治家は冗舌な人ばかり。言葉が滑っていて責任を感じて話していない。世の中がどう受け止めているかも想像していない人ばかりだから、憲法を大切にしない」とバッサリ。最後に「憲法9条はね、理解する、しないではなくて愛すればいいんです」「憲法改正は急ぐ必要はありませんよ」と結んだ。
「毎日」では野坂昭如さんの「七転び八起き」という連載もある。今回第155回は「憲法改正-日本の何を守る」だった。永さんとは少し論点を変えた辛口の提言だった。夏の参院選に向けて日本維新の会はほぼ自滅していく事になるだろうが本陣の自民党は性急な改憲論を一時衣の下に隠しアメリカに助けてもらいながらほんの一時の景気回復の夢を餌に参院選を乗り切ろうとしているように思う。こんな一時の夢ではなく、日本国憲法を実現する、という夢を追い続けたいと思う。

2013年5月27日月曜日

ちゃっきり娘って、だぁ~れ

  退職者の会の横のつながりで「宇治の茶摘みツアー」に行ってきた。以前、信楽の窯元見学のついでに訪れた朝宮町の茶園でも聞かされた話だが、日本茶を代表する「宇治茶」は日本国内産のお茶の葉の約2%しか生産されていない。宇治茶と名乗っているが多くは滋賀や三重県から仕入れているとの事だった。昨日見学した茶園のご主人の話でも、シーズンには毎朝、鹿児島から「宇治茶」の看板を付けた大型トラックがお茶の葉を運んで来たのだそうだ。(これって産地偽装?最近は三重、滋賀県などからのお茶は宇治茶と名乗ってよいことになったそうだが)
 見学したこの茶園も家族だけの小さな規模の茶園だった。茶摘みのシーズンはほぼ終盤だったが、我々の為に一部摘みとる場所を残して頂いていたとの事で早速、茶摘みに精を出したが、手よりも口の方が達者な高齢者ばかり、お茶のうんちく話や、ダジャレの連発で演芸場のような賑やかさ。この写真に写っているのは同じバスに乗り合わせた若い女性3人組が茶摘み娘に変身(有料です)して茶畑に現れたところです。
早速、誰かが「ちゃっきり、ちゃっきり、ちゃっきり娘が、飛びぃ~出ぁ~しぃ~た~」と茶々を入れる。分かる人には分かる往年の女性漫才トリオの出囃子ソングなのだが、娘さんたちはキョトンとしたまま、何ともお恥ずかしい。
 茶摘みを終え、持参したホカ弁を食べながら一番茶、二番茶を頂いた。ぬるま湯で入れることにより、香りだけでなく、ビタミンCが壊されず、タンニンの出を抑える、という「お茶の入れ方」は皆さんご存知ですね。帰路は茶園からの道をミニ森林浴をしながら宇治まで歩いた。道中、私は茶園で貰った蒸されただけの茶葉を噛みながら歩いたが少し疲れた体には甘い物より心地よかった。

2013年5月23日木曜日

「がっちょ」の意味は?

「がっちょ」のから揚げである。梅田・阪神の地下魚売り場できれいに松葉状に捌いて売っていたのを買って家でから揚げにした。大きさは5~6㎝、可哀想なぐらい小さい。でも、これを捌いた魚屋さんに敬意を払い501円で購入。昔、チヌ釣りに、はまっていた頃は、釣れない時の暇つぶしに筏の上からちょい投げでキスを釣る(チヌ釣り専門家からはジロリ、と睨まれたが)と外道に「がっちょ」が連れてきたものだった。堺っ子の長谷やんは夜店で「がっちょ釣り」を楽しんだとか、我々には懐かしい、魚である。
 結構大きく、頭のところに包丁を入れ、皮一枚を残し、きれいに剥ぐ方法を教えてもらったがなかなか上手くいかなかった。関東では「メゴチ」といって立派な江戸前の天ぷら種だ。「がっちょ」の語源は知らないがあまりいい呼び名ではないようだ。小さいとはいえ40匹近くあって夫婦二人で食べ残してしまった。
【耳よりニュース】阪神の地下魚売り場は時々、珍しい、我々にとっては懐かしい魚が並んでいる。今が旬の魚で「青ベラ」や「あぶらめの新子」が並んでいた。

2013年5月16日木曜日

小さな絵本

  どこで、どうして手に入れたかの記憶がない(多分フリーマーケットで買ったかも)豆本である。グリコのおまけの記念品のようなものだと思うが全12種類出たそうである。前回のブログのグリコの宣伝部長だった「岸本水府」関連で思い出し引っ張り出した。前にも書いたが川柳作家として活躍した水府は、グリコの豆広告なるものを発案し、新聞1段15行の短い広告を載せた。為に、「ケンカハオヤメ グリコハオタベ」などの名コピーを残した。案外、おまけのおもちゃもキャラメルとセットの小さなおまけの箱に入っている点など、発想は同じなのかもしれない。それともう一冊、これは正式な豆本である「くんぺいごしちごアフリカえほん」である。
この豆本を手に入れたのは、確か古本市ではなく、四天王寺さんの骨董市で見つけたものだったと思う。手に取ってパラパラと中を見て、面白そうだったので買うつもりで、いったん台に置いて、店主に値を聞こうと思ったところ、横から手がス-ッと伸びてきた。慌てて「買うんです」と再び手に取ると、そのオジサンはいかにも惜しそうに、「探していたんです」と言った。俄然「これは掘り出し物、」という気持ちがムクムクと起ち上がり、「すんません、私も気に入ったものですから」と譲らなかった。
 たしか1200円程だったと思うが家に帰って改めて「くんぺい」なる作者の事を調べてみた。名前は「東君平(ひがしくんぺい)【1940年~1986年】神戸出身で職業を転々としながらお茶の水美術学院で絵の勉強を続け、谷内六郎と出会い、彼の後押しで童話のイラストレーターとしてデビュー。その後童話作家に転じたとある。肺炎のため、46歳の若さで亡くなった。この豆本は、君平さんがアフリカ旅行をしたときに動物がすむ環境の激変に心を痛め、自費出版して収益金を難民たちに寄付したということだ。旅先での出来事を小さくまとめ、簡単な絵を描き、最後に川柳を書いている。例えば、「フンコロガシ」-ひとばんじゅう ゾウのなきごえや はないきで ねられないことがあります。・・・・じめんには おおきな あしあとがあって ひとかかえもある ふんがおちています。・・・」そして川柳が「ゾウのふん フンコロガシの おおしごと」大らかで、自然で、気持ちのいい絵本です。東君平さんの事もボチボチ調べていこうと思います。

2013年5月12日日曜日

先月のことになるが「文楽 4月公演」を観た。今回は義姉から貰った券ではなく自前で観に行った。お目当ては、近松の心中物の最高傑作と言われる「心中天の網島」である。自分で座席を選択できるので前から五列目、右端に座った。ということは、国立文楽劇場の場内配置で言うと、舞台に向かって右側には太夫と三味線が座るから、相撲で言えば、砂かぶり、太夫の唾が飛んでくる距離である。勿論、プロの太夫が唾を客に飛ばすことはないが、熱演の太夫の額の汗が間近に見え、太棹の弦の振動が見えようかという距離である。さすがに迫力があるのだが、太夫や三味線方と目が合うような気がして、少し恥ずかしい気になった。
 演目の「心中天の網島」-天満の紙屋の主人、治兵衛は、二人の子供と女房がありながら曽根崎新地の遊女小春に通い詰め、ついには心中をし果てるという物語だが、遊女を想いつめ仕事も手につかず、親戚からも愛想をつかされている亭主を何とか盛り立てようとあれこれ尽くす女房「おさん」が哀れである。現代の夫婦ならば、とっくに家から叩き出されているだろうな~と思って観ていた。話は結局、亭主を思い切らせるために遊女小春におさんが手紙を送り、身を引かせることに成功するのだが、そのことが結局、亭主と小春を追い詰めてしまう、という義理に絡んだ心中物である。
 外題の顛末はさておき、有名なのがこの写真の紙屋治兵衛の頬かむりスタイル、以前のブログにも書いたが、関西歌舞伎の初代中村雁治郎がこの紙屋治兵衛を得意とし、川柳作家・岸本水府が「頬かむりの中に日本一の顔」と読んだ。この岸本水府という川柳作家は元は「グリコ」の宣伝部長も務め、今でいうコピーライターとして腕を振るった人である。グリコのコピーとして「グリコガアルカラ オルスバン」「ケンカハオヤメ グリコハオタベ」など何とも短く、的確な名コピーを残した。ちなみに「頬かむりの、、、」の句碑が道頓堀のうどん屋さんの前にある。

2013年5月6日月曜日

メーデーに参加して

今年もメーデーに参加した。退職して9年、年金生活者は労働者ではないだろうが、年金者組合は労働組合だ、とおっしゃる方もおり、それと退職者会とのお付き合いもあって毎年参加している。そのメーデーだが連合系のメーデーが5月1日ではなくG・Wの中に組み込まれたのはいつの頃からだったろうか?8時間労働制を目指す闘いの日であったメーデー、それが日本においては、経済界からの要請で消費拡大の為に大型連休の中に放り込まれ、ついにはG・Wの前半と後半を繋ぐ休日にされようとしたが景気の冷え込みとともにしぼんでしまった。不純な動機の結末ではあるが、実はこの顛末が昨今の憲法改定策動をたくらむ動き(こちらの方の結末はまだだが)とよく似ているように私は思うのである。改憲を叫ぶ人たちの多くは、占領軍に押し付けられた憲法だから今の日本に相応しくない、改憲するべきだ、と言っている。また各種世論調査の中では「北朝鮮のミサイルや中国の尖閣問題など頻発しており不安だ」「アメリカに頼るだけでは国際社会から取り残される」など現在の社会情勢に不安を覚えての賛成のようだ。石原日本維新の会共同代表のように「9条が日本をダメにした」「今の国際社会は核を持ってない限り発言力はない」などという暴言、妄言もあるが、押し並べて「現状に合わない憲法は変えるべき」ということに尽きるように思う。
で、日本国憲法とは?ということに突き当たるが、憲法論議は別の機会にするとして、日本国憲法の精神はその前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と宣誓している。私にはこの前文が、「いかに世界の現状が危機的なもので、多くの矛盾と混乱を孕んでいようと、日本国憲法を持つ日本国民は、この精神を、この理想を放棄してはなりません」と訴えているように思う。8時間労働制を闘いとった労働者の記念すべき1日を、悲惨な戦争の犠牲となったすべての人々の生きていた証の日本国憲法を、誰かの都合で簡単に変えてはならないと思うのである。 『ならぬものは ならぬのです』