久しぶりに歌(合唱)を堪能した。古い付き合いの先輩、豊田光雄さんの作品コンサートがあった。「ウタノミライ」この題名に、豊田さんの「歌」への願い、思いが込められているように思えた。
オープニングの「みんなは夜明けをまっている」で、いきなり40数年前の自分に引き戻され、胸が熱くなった。確か1971年の元旦に生駒の山頂で、豊田さんが「新しく作った曲や、みんな覚えて歌ってや!」と指導され、年明けの空に向かって、歌った覚えがある。(当時、国公青婦協という組織で生駒山に越年登山をする取り組みがあった)。
そして、その年の4月の黒田革新府政誕生のたたかいの時も「おはよう大阪」と一緒に、いくつもの集会で歌った思い出の曲だ。
【この歌は、1972年日本のうたごえ祭典開幕曲となり、 「荒木栄賞」受賞曲にもなった。】
歴史的な歌の誕生に立ち会ったような気分で少し誇らしかったのを覚えている。
数日前の電話では「いったいどの位の人が来てくれるのか分からん、」と心配声だったが、会場は満席の盛況で、2時間半のコンサートは大成功だったのではないだろうか。
若い頃から日々の仕事(職安勤務)の後、音大に通われ積み重ねられてきた歌への愛着、思いの熱さは、そのまま今日、出演した合唱団の数、層の厚さに反映しているように思えた。
まさに、「ウタノミライ」に込めた、歌の力、つながりの深さ、そのものの様な気がした。
!豊田さんというと分限解雇反対闘争が思い起こされます。Tさんの分限解雇は結局11年の年月を経て最高裁まで行って取り消されたものですが、人の人生をもてあそび、職場のチームワークをバラバラにし、行政をゆがめる大きな梃子になったことは間違いありません。今、橋下市長等が軽々しく分限解雇だ、懲戒解雇だと言うのを聞き、それを無批判に垂れ流すメディアを見ていると、ミライニムケテたゆまなく歴史を語ることの重要性を感じます。
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