2012年6月4日月曜日

元気で再会!


津波被害にあった仙台空港の佐藤忠良の
ブロンズ像「翔韻」
  元の職場の研修仲間で作っている同窓会「けやき会」の旅行に行ってきた。昨年2月末の沖縄旅行の際、来年は東北地方と決まった。しかし、帰ってきた直後の「東日本大震災」だった。幹事で検討した結果、宮城と福島の仲間を励ましに行こう!と旅行の決行を決めた経過があった。
 天候に恵まれた26日、宮城県の「青根温泉」に全国から11名が集まった。「青根温泉」は仙台藩・伊達政宗の隠し湯として名高く、我々の宿泊した「不忘閣」は藩主専用の湯で「青根御殿」として使用されてきたそうだ。
 また、数多の文人墨客が利用し、山本周五郎が大作「樅の木は残った」を執筆した部屋があり窓からその樅の大木が今も臨める。大広間で始まった宴会では、それぞれが近況を報告したがやはり、宮城と福島の仲間の話に集中した。3・11当日、お二人はそれぞれ再任用の職場で仕事中に激しい揺れに襲われた。感覚的には5分以上揺れが続いたように感じた、と言っていた。宮城の方は住居が若林地区で、昨年のブログにも書いたが直後は連絡が取れず、心配したが幸い津波の被害も無かったという事だ。福島の方も地震の被害はあったものの、津波の被害は無かったらしい。
真ん中左手の木がモデルの樅の木
 お二人とも何とか普段の生活に戻るよう色々とご苦労されたようだが、久々の再会を喜び合った。ただ、やはり福島の方が云われた「福島第1原発事故」の影響については、記述しておく必要があると思う。
おっしゃる趣旨は、「放射能被害から県外に避難された方々と、県内に残った人々との間で、心の中にわだかまりが生じている。原発事故は福島を、人を二分してしまった」という事だ。帰る見込みのない避難生活がこの先何年続くのか、「家族の多くは働き手の男を県内に残し、妻と子供は、慣れぬ県外の生活に疲れ果てている。家族の中、親族の中にも、目に見えない形でわだかまりが生じているようだ」とおっしゃっていた。国の無策に憤っては見るものの、我々に出来ることはしれている。せめて今宵ひと時を美味しい料理と旨い東北の酒で楽しく過ごしてもらうだけである。
 翌朝、福島のS氏は元気に愛車で帰られた。

2日目の目的は蔵王の「お釜」観光である。昨日の仙台から青根温泉に至るバス旅行もそうだったが、今日の「お釜」に向かう蔵王エコーラインも、遠くに雪をいただく月山を望み、 道路の両サイドには、まだ雪の壁が所々残り、新緑と、青空と雪の白さが我々を楽しませてくれる。「お釜」に到着して、間近まで降りて観るが、風が冷たい、おもわずレストハウスに逃げ込み、温かい「玉こんにゃく」を頬張る。帰路、立ち寄ったロープウエイの駅の木立の中で「エゾ春ゼミ」が鳴いていた。
 この後、次の目的地、芭蕉の句で有名な山寺「立石寺」を目指す。車中のガイドさんが盛んに進めるので1015段の石段を登る事(のハズだった)に。
山門を潜ってすぐの茶店で、おばさんが「玉こんにゃく如何ですか、楽に登れますよ」と勧める。
汗にまみれて字(静けさや~)読めず
「なんの、世話になるか!」と杖も借りずに登り始めたが15分も登っただろうか、おじさん3人組はあえなく棄権、女性(ほぼ同年代、のハズ!)たちは元気に上まで登った由、ふがいない男どもは「登る前に飲んだ昼食の『月山ビール』が効いたな~」と、ぼやきつつ、女性優位のけやき会(メンバーは、常時女性10人、男性4人)の実勢を味わった。
この後、1泊2日組のメンバーと別れ、我々は今夜の宿の「銀山温泉」を目指す。

 

 以下、次号に。

2 件のコメント:

  1. !事実は雄弁な気がします。福島の方の一言一言。そして、清々しい東北の空気が感じられるブログです。次号期待。

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  2. 歯医者に行った寄り道で日本橋の模型屋を冷やかしました。その裏通りに食堂がありますが以前通った時店の入口に張り紙があり「オサマビン・ラデン氏の49日法要のため◎日は休みます。法要場所は秘密です」と書いてありました。思わず笑ってしまいましたが今日通ったら「野田首相が自民党にすり寄っていますので、自民党に入党するよう言いに行きますので◎日は休みます」の趣旨が書いてありました。こんなユーモアがある大阪人?がもっと多くなったらと思い、これからのストライキは休日にしてこんな張り紙があちこちに貼ってあったら「翼賛偏向マスコミ」に一発喰らわせるのではないかと思いました。ちなみにお昼時でしたからお客さんがこの張り紙の前で列んでいましたので効果抜群ではないでしょうか・・・・

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