先日、適当な会場探しのため、谷町6丁目あたりを歩いていると懐かしい風景に出合った。「たかつはらばし」、谷町筋と長堀通の交差点を西に進み、松屋町筋に出るすぐ手前にその橋はある。今を遡ること40数年前、高校を卒業し、しばらくして就職した役所は、元第八連隊の司令部だったという古い木造二階建ての庁舎で、今は「難波の宮」跡として有名になった東区(現中央区)の法円坂にあった。当時は、月曜から土曜日までの勤務であったが土曜日は「半ドン」で12時半までの勤務であった。勤めて間もない頃であり、高校時代の友達との付き合いがまだ続いており、土曜日になるとナンバで待ち合わせ、遊ぶのである。終業のベルが鳴るや
庁舎の玄関を走って出て、上町筋の大阪市バスの停留所に並ぶ。緑色の、横縞模様(当時ゼブラカラーと呼ばれていた)がスマートな市バスに乗り込み、上本町1丁目を右に曲がり、長堀通りに出る頃には、週末の弾んだ気分が徐々に出てくる。そして、その橋、「高津原橋」の下をくぐると、完全に1週間の仕事の事を忘れ、ワクワクした気分になるのであった。当時、新米の若造には責任ある仕事もなく、夏は事務所の窓を開け、風通しを良くし、
冬は、だるまストーブ(石炭燃料の)の掃除やらが当番の仕事だった。それでも、1週間の仕事が終わった!という開放感は待ち遠しいものだった。その橋の下をくぐる事がそんな気分にさせてくれる出口、入口でもあったのである。橋の由来は分からないが、もともと、長堀川(運河)を埋め立て、道路にしたものである。上町台地は谷町筋を境に西に傾斜していき、所どころで崖の様に落ち込んでいる。この辺りはなだらかな下り坂であるが、それでも橋の上までは、5~6メートルはある。橋の北側は、内本町につながり、南側は、ゆるいアップダウンをへて、空堀商店街につながる。橋に昔の面影はないが、その土台部分には古い石垣や石畳の路地が残っていた。懐かしさのあまり、今回改めて、写真を撮りに行ったが、橋の上から見る、車の流れが川の流れのように見えた。