2011年9月27日火曜日

若冲は何処に

 豊中の岡町に「東光院」というお寺があります。萩の寺として有名ですが、この寺にブームになっている「伊藤若冲」の鶏の畫があると云う事で、自転車で行った。
寺の案内書には天平年間に行基菩薩により創建された、とある。行基が今の大阪の中津辺りで、火葬の方法を伝授した際、死者の霊を慰めるため、淀川水系に群生していた、萩を供花として霊前に捧げた事が寺の萩の植栽の起源だと云う事らしい。
当日は「萩まつり道了祭」を開催中、という事で結構参拝者も来られていた。
さて、お目当ての「若冲の畫」だが寺務所に聞いても要領を得ない、「寺の奥に収ってあって、私も観た事がない」とベテランらしいおばさんが言う、案内書にも寺宝の仏像や書画の事は載っているが「若冲の畫」の事は触れられていない。
釈然としない気持ちで寺を後にしたが、どうも納得がいかない、
ただ、若冲は近年、といっても、ごく最近(1960年代)にアメリカのコレクターが注目し、再評価がなされた画家である。寺宝と認識されていないのか、と思うがブームといっていいほどの画家でもあるし、本当にあるのだったら公開してほしいと思うのだが。

2011年9月24日土曜日

自然の影絵

 久しぶりに万博公園に。年間パスの更新が主目的で、3,000円は、月2回行けば元が取れる計算であるが去年は十分元をとった、が今年のペースは均すと月1ペース、気候も良くなり、これから取り戻しに行く予定だ。
 本日の1枚、芙蓉の葉だと思うが虫食いの葉っぱの影が映って面白い画像になっている。お目当ての彼岸花は年々少なくなっているようで、珍しい黄色の花も一輪だけだった。
 園内に特別に栽培されていた「藤袴」も今年は咲いていなかった。季節の変わり目は咲く花の数にも出ているようでもう少し待てばコスモスが満開になる。


 

2011年9月18日日曜日

神戸に「小松左京展」を見に行った。高校生の頃、SF小説にハマり、星新一、眉村卓、筒井康隆、そして小松左京の短編集などをよく読んだ。なかでも、左京の本は、荒唐無稽の発想ではあるが、科学的裏付けを上手く配して、いかにもありそうな話に仕立ててあるところが好きだった。
 今回、初期の傑作「日本アパッチ族」の原稿や、作成ノートを見て、その裏付けの凄さに驚いた。物語は、実際にあったクズ鉄泥棒と警察の取り締まりを題材に、飢えに苦しんだ泥棒たちが本当に鉄屑を食料にしてしまう、というものだが、左京氏は、単なる思いつきにさせないために、分子工学から人体の胃壁の酸性にまで綿密に取材、研究している。

 「日本沈没」を書くにあたって、当時超高価だった電卓を買いこみ、日本列島の重さを計算した、という話もある。
大阪万博のプロデュースをやりだした頃から変わっていったように思うが、桂米朝さんらとともに一時期の大阪文化を代表した人だった。

2011年9月15日木曜日

手近に名月




 子供の頃は、里芋、手綱こんにゃく、と俵型の小さなおにぎりを三宝さんにのせてお供えするのが定番だった。花より団子、月より芋が楽しみだった。月に関する思い出は、父親と銭湯に行った帰り道、煌々と照らす月の光と白く凍てついた地道がハッキリと記憶に残っている。


 父親に「あの光はずーっと、昔に光ったのが今、地球に届いてるんやで」と聞きかじった話を自慢げに話すと、「ヘ-え、偉い事しってんねんなー」と感心してくれたのがうれしかった。

2011年9月11日日曜日

特別な九月

 九月九日は私の誕生日です。「苦、苦」につながると、祖母は気にしていたようですが「おとんぼ」の苦労知らずで育ったと云われてきました。私自身は、挫折の子供時代だと思っていましたが長ずるに、九月九日が「重陽の節句」という目出度い日である事を知り、人生の励みにしてきた。


 一昨日、息子から「久保田の碧寿」が贈られてきた。以前友がブログに「娘から特別なワインを贈られた」と面映ゆい気持ちを綴っていたが、私も「敬老の日の祝いではなかろうな?」とメールしたら、「それもあるが、夫婦仲良く飲んでくだされ」と返事してきた。


 12日は仲秋の名月、月が出たら栓を開けようと思う。


2011年9月6日火曜日

風の盆

 台風12号が近づいてきた9月1日は二百十日、昔から「野分け」-野を吹き分ける強い風-がくる季節とされてきた。また、この頃は稲の収穫前の大事な時期で米が主食の日本人にとって一番恐れるものの一つが「野分け」であったのだろう。 だから風を神に見立て、あらぶる神を風と共に送り出す、それが越中八尾の「風の盆」の始まりだと云われている。
 十年近く前に元の職場の研修仲間と訪れた八尾の町は、雨の後の湿った空気に坂道の祭りの灯りがにじんで、石川さゆりの唄の舞台そのものだった。




  そんな、「おわら風の盆」に魅入られた友がいる。今年も台風が近づく中、「明日から行って来るわ!」と電話をしてきた。この祭りの雰囲気に一度でも触れると熱に浮かされたように毎年通う事になる、と友は言う。たしかに、一度しか参加していない私でも、熱病(フィーバ)ではない、静かな、内に秘めた興奮がよみがえる。

 町を埋め尽くす観光客がいるのだが、普通の祭りの歓声はない。胡弓の名手と云われる女性が町を流し始めると皆がその後を追う。

 今年も友は、あの人を追いかけているのだろう。