2012年12月7日金曜日

AKB48総選挙と総選挙


  全く興味がないので「AKB48」なるアイドルグループの事は知らないが「AKB48選抜総選挙」なるシステムを考え出した人は凄い人だと思う。この選抜総選挙というシステム、実は100人近いアイドルたちの中からCDシングルに参加する選抜メンバーをファンによる投票で決定する仕組みで、テレビなどのメディアを利用し、投票をイベントとして、プロデュースし、多くの若者を動員する。アイドルの数だけ、ファンも生まれる(1位当選者は10万票を超える)という仕組みは、若者の掌握の仕方としては巧みである。 
 さて、こちらは本家の総選挙である。アイドル並みに何百という訳にはいかないが、それでも浮動票(ファン)を当て込んで沢山の新党が乱立した。先日、ある集会で大学教授が「単一民族国家の日本でこれだけの数の政党が乱立するのはおかしい」と述べられた。
 日本が単一民族国家(正確な)であるかについてはさておき、多民族国家に生じる宗教的対立や人種対立が殆どない、事は確かである。その日本で何を当て込んだか、かくも新党が乱立することは確かにおかしいように思う。そして、新党乱立をあたかも第3極の様に過剰報道するマスメディア(かって2大政党を持ち上げておきながら)もおかしい。
 私にはAKB48の顔を見分けることは出来ないが、選挙権(AKB風に云えば投票権)を得て40数年を経た私の眼には乱立新党の違いは見分けがつかない。「脱原発」の達成年限の違い位しかない様に思う。結局は、古い自民党型政治の枠の中の新党乱立ということではないのか。
 そんな中で、たった「ひとつ」その枠に入らない政党がある。その政党を指して哲学者の鶴見俊輔氏は「北極星のような存在だ」と言った。戦中、戦後、一貫して戦争反対を貫き通した政党、そのぶれない姿勢を、天空の一点を守る北極星になぞらえたと云う事であろう。北極星の異名は「ひとつ星」もっと、もっと、光り輝いて欲しい。                                                                                        

2012年11月24日土曜日

冬支度が二つ

箕面の紅葉の様子を定点観測している某有名料亭の屋根の上の紅葉。今年は全国的に紅葉が綺麗、という前評判通りに例年以上の美しさである。この場所は、滝道に入ってすぐのところで、私がいつも栗を買うお店のすぐ先にある。今年は11月に入ってから干し柿用の柿を買いに行ったついでに観測してきた。「よし、近々、あちこちに紅葉狩りを」と思っていたら突如、解散、総選挙になってしまった。
 それでなくとも忙しい年の暮れに向かう時期の師走選挙。遠出は無理か、ならば、万博、箕面と考えている内に、見頃は過ぎていく。一昨日の22日は、旧暦の10月9日、「小雪」でした。陽射しは弱まり、木々の葉は落ち、平地にも初雪が舞う頃、とある。冬支度の前に「一仕事」が二つも出来てしまった。勿論一つは、干し柿作りである。

2012年11月17日土曜日

プチ、贅沢


月末に行う退職者の会「歴史探訪合同ハイキング」の下見で堺に行った。ボランティアガイドさんの作ってくれた行程は、わりと有名なコースではあるが、あらためて感じたことは、寺の多さである。有名な「妙国寺」に至る町中を歩いてみると、軒を連ねる、という感じでお寺が並んでいる。この辺も見どころになるかもしれない。
 と、ま~あ、これは当日のお楽しみにして、下見を終え、お昼は「ちく満」のあったかいお蕎麦を食べた。ご存じの事だろうが、(みんな知っていると思い込んでいる方がおかしいか)ここの蕎麦は茹でたての熱いそばを、火傷しそうなアツアツの御つゆに、ざる蕎麦の様に浸けてでいただく。関東の蕎麦好きが見たら腰を抜かすかもしれないが、昔、友に連れて行ってもらって以来、執着している。そして、この写真の突き出しである。中味は、蕎麦つゆを採った残りの鰹節とネギと山葵、これだけであるが若い頃は、これで熱燗を飲んで少し粋な大人になった様な気になったものである。昼間から、贅沢な、と言われるかもしれないが、たまには良いのでは、二千円足らずで至福の時間が味わえるのだから。
*熱い蕎麦の解説をしていて、思いついたが、これって、当世流行りの「つけ麺」の原型ではないか!確信。

2012年11月6日火曜日

耳で観る文化

 義姉から切符を貰ったので二人で「文楽」を観てきた。(11月5日)11月公演は「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言(第1部)。      当日、朝10時半からの「大序・兜改めの段」に始まり、「六段目・勘平腹切りの段」午後4時すぎまで、の長丁場だった。昔から、テレビ・演劇界では「困った時の忠臣蔵」、と云われるほど国民的人気の外題である。映画ならばいくら長いと云っても2~3時間であるが通し狂言となると、私が見た1部と夜の2部合わせて約11時間(昼夜休憩を入れて)さすがに余程の文楽好きでないと、と思って来たが、10時の開場時間には満員の人が。以前のブログで、私が「文楽友の会」に入会しようと思った経緯を書いたが、橋下市長の「文楽」攻撃から最近の補助金支給決定まで、一連の騒動の「波及効果か?」と言われてきた盛り上がりだったが、この人気は、もしや本物、と思わせる程の入りだった。たった1日の観客層を見て判断できるモノでもないだろうが、「橋下騒動」とは無関係の新たな文楽好きが増えてきているのは間違いないのではと思う。橋下市長は補助金支給決定後も未練たらしく劇団四季の「ライオンキング」を観賞してその盛況ぶりを文楽にあてこすりしているらしいが、この話はまた何れ別の機会に譲るとして、当日は、人間国宝の鶴澤寛治、鶴澤清治(三味線)や竹本源大夫(人間国宝・当日は途中交代するハプニングがあったが)や豊竹咲太夫ら名人・上手を目の前で、間近に観られ文楽初心者の私にもその迫力が伝わった。舞台でも主役の人形遣いはもちろん、「(その他)大ぜい」と記される端役の人形遣いの人々の細かい動きも見事なものだったが、やはり文楽の魅力は「浄瑠璃」の魅力に尽きるように思う。「耳で観る」文化だと思う。浄瑠璃、三味線、そして人形、三位一体の芸術はすでに完成されている。これを守り、伝えるのが文楽技芸員の仕事。「観客動員が少ない、儲からない、」は観る我々の側の問題であり、責任だともいえる。(感動さめやらぬ中で記したので乱文なり)



右のきり絵は、故加藤義明氏の作品で我が家の宝物です。       

2012年11月2日金曜日

現場かテレビか

30日、たまたま招待券を貰ったので「正倉院展」に出かけた。友のアドバイス通り、火曜日の午後、3時半、を狙ったが、「なら町」で昼食と時間つぶしをしても3時に着いてしまった。入口付近で二重の列に並んで、それでも10分足らずで入場できた。
しかし、館内は満杯状態。お目当ての展示物の前は人の頭しか見えない。元々、正倉院展は館内が暗く見難いという定評があり、特に今年は天皇が遺愛した双六などの小さいものが多く、単眼鏡が必要なほど、ほとんどの展示物をさら~っと見て、常設の仏像館をじっくり見て帰ってきた。
二日ほどして夕方のテレビ番組で正倉院展のついでに見に行った興福寺の「阿修羅」が放映されており、そして今日(2日)は、「天平・瑠璃のかがやき」という特別番組があった。ム~、、、やはり本物を見るべきだと思うが、、、あの混雑で、じっくりと見れないのなら、TV観賞もありか、しっかり録画しておいた。

2012年10月20日土曜日

喰いつきのいいプラスター

11月に沢山の行事を控え、ブログ更新がついつい、滞る。
毎週金曜日の関電前抗議行動も何とか参加するように、気持ちを切り替えているのだが、月に1回が精いっぱい、という感じ。
 昨晩なんとか参加したが少し参加者が減ってきているような気がして、ほぼ精勤で参加している友に訊くと「先週はもう少し少なかった。でも、続けることが大事」と云っている。  
 来月11日には、東京で100万人を結集するらしい、全国でもこれに呼応して集会が持たれる。歴史的な一日になるかもしれない。
 で、この写真の友が掲げるプラスター、チェルノブイリ周辺でツバメの異常個体が現れているそうで、野鳥図鑑等から探し出してプリントアウトして作ったとの事。昨晩も早速、参加者の女性から質問、丁寧に答えていた。その次は、背の高い中年の外国人男性、盛んに指さし、連れの女性に聞いている。「チェルノブイリ・スパロー」男性は、分かったのか、分からないのか「オー」と頷いていた。
 前期高齢者の我々に、1時間半のシュプレはキツい。私は友に貰った鳴子で参加している。

2012年10月8日月曜日

11月の行事の下見で堺に行った。「堺まつり」などに何回かは来ているが、大浜辺りは本当に久しぶりだ。写真の旧堺灯台もきれいに改修されているが、六角形の白い姿はそのままだが、周辺は見事に昔の面影はない。
 昭和50年ごろ、この堺港の船着き場から臨海の埋め立て地の工場護岸にチヌ釣りに出かけたものだ。
 渡船屋のオヤジは、護岸に着くと「会社の見回りの車が来たら、頭低くしてや」と言い残し港に帰っていく。こっちはお金を払って釣りに来ているのに、「まるで、闇夜の泥棒みたいや」と文句を言ったものだ。それでも、五時に仕事が終わると、潮時を選んでよく通った。 写真の右前方の埋め立て地には当時、新日鉄や日立の工場が並び、高炉の高い煙突が林立していた。夜釣りの時は、工場のパイプ群を照らす照明や、高い煙突の先の赤い警告灯の点滅が釣れない時間の慰めのようだった。ちょっと前、「工場萌え」とかで夜の臨海工場群を写真に撮るのが流行ったが、30数年前に同じ感覚を味わっていたのかもしれない。
 堺で勤めた1970年から1980年の10年間は、まさに高度成長期から1980年の高度成長の終焉期の入り口に至る時期に重なる。新日鉄の高炉は無くなり、日立造船も去った。その後、期待され入ったシャープの太陽光パネル工場も本社の不況が影を落とす。大阪府は、広大な未利用地を工業生産地帯から、学術、環境産業地帯にと考えているようだ。
 かってNHK大河ドラマは自治都市を目指した堺を「黄金の日々」で描いた。権力に敢然と立ち向かった堺人の気概が堺にも、大阪にも、いま必要ではないだろうか。河内人として生まれ、人生の割と重要な時期を堺で過ごした(仕事中心ではあるが)私の思いである。