2014年9月21日日曜日

親子展

隆君、いや彼もすでに40歳をこえる大人なのだから加藤隆さんと呼ぶべきだろう。
 お祖父さんが押すべビーカーに少し大きくなりすぎた体を乗せ、はにかんだ様な笑顔をみせていた頃を思い出す。
 その彼が父親である切り絵作家の加藤義明さん(2010年死去)との親子展を開いたというので見に行った。彼が絵を描いていることは知らなかった。パソコン画という手法で描く画、「OZAKI~あがき続けた少年」は、少年時代の彼の内面を見るようで鮮烈だった。
 また彼は足でギターを弾き、絵筆も握るという。(彼は上肢等に麻痺がある)油絵の「とうちゃんの唄」はタバコ好きだった義明氏がうまそうに煙を吐き出す瞬間を白黒の画面で見事に表現していた。そして母親(加藤能子さん2009年死去)、私が記憶している能子さんの面影を思い起こすような絵だった。
 当日彼には会えなかったがこの親子展を企画された前田尋さん(切り絵画家)と少しお話しすることが出来た。新聞記事にはプロの画家を目指している、と書かれていた。きっとやさしい心を伝える画家になるだろう。
 親子展は24日まで、大阪市住吉区の長居競技場の南、町中の小さなギャラリー「キットハウス」でやっている。

2014年9月14日日曜日

老いも若きも

 去年に続き今年も「日本高齢者大会」に参加してきた。第28回目を迎える今回は、富山での開催であり、参加費用の関係で退職者の会からは一人の派遣となった。 
 閉会式での主催者発表では2日間で5,200人の参加者となったが1日目の分科会など、どの会場もいっぱいの参加者で高齢者パワーに圧倒された。
 私はこの9月で68歳になったが見渡す限り、どなたも年上の方ばかりである。昨年の大会挨拶で共産党の佐々木憲昭さんが「いま日本で一番パワーがあるのが高齢者団体です」と云ったことが思い出される。
 一日目の分科会で私は経済学者の山家悠紀夫さんの「アベノミクスと庶民の暮らし」を選んだ。たった5人の女性閣僚を任命しただけで支持率が上がる安倍首相の基本政策「アベノミクス」をもう一度しっかり捉えたいと思ったからだ。最近TVではあまり見かけなくなった山家さん、あらためてアベノミクスの「三本の矢」が庶民の暮らしに射込まれた毒矢である事を明らかにされた。「良くなっているのは株価だけ、それも去年の5月まで」「下降傾向にある株価と景気を下げないためにカンフル注射(公共事業)を打ち続けなければならなくなっている」と語り口は柔らかだがその指摘は苛烈で的確だった。
 また、安倍首相が言った「岩盤規制を私のドリルで壊す」とは、これまで国民と労働者を守ってきた法律・規制を悪者扱いし「世界で一番企業が活動しやすい国に」するための言葉だったと指摘、日本経済再生のカギは「暮らしの改善」で、消費税の10%増税は以てのほか、賃金を上げるため労組の頑張りと、規制を強める(国民と労働者を守る)社会保障をよくするなど、当面の取り組みを提起された。
 二日目の全体会での記念講演は「世界が100人の村だったら」の池田香代子さん。事前の講演内容とは違った話から始まったが、解釈改憲の事に及んで「言葉の言い換えとペテンによって戦争準備が着々と進んでいる」と、また先ごろ開かれた学術会議のテーマが「日本の若者はなぜ人を殺さないのか」という内容で、世界的に見て少年犯罪の低さは特異的である事、国が戦争をすると暴力にうったえる風潮が社会に広がり、犯罪が増えるのだそうで70年近く戦争をしなかった事がこういう数字、結果に繋がっている、という見方は新鮮だった。
 大会最後は地元八尾高校の伝統芸能部の若者による「越中おわら節」の演奏と踊りで舞台から会場に降りての輪踊りは、まさに高齢者と若者の共同の場となった。真剣に踊る若者を見ていたら何故か目頭が熱くなった。今回の大会、富山大学での会場案内のボランティアの皆さんや踊ってくれた高校生のお蔭で心に残る大会になった。来年は大阪からも近い和歌山に決まり「つれもて来てよ!」とアピールがあった。

2014年9月11日木曜日

月に乗せられて

 昨日、一昨日と中秋の名月を楽しんだ。
わが家のマンションの東の小窓から月が上がり、日付が変わる頃には南天の空に輝く名月をマンションのベランダから観ることが出来た。
 八日の十五夜の月は雲一つない空をゆっくりと時間をかけて渡って行く。しかし、
「yamashirodayori」さんによれば九日の十六夜の月の方が満月であるとの事。当日は夕方から大阪市内で集会があり、参加して帰宅したのが11時過ぎであった。それでも時々雲の切れ間から顔をのぞかせる望月を深夜まで眺めた。
  これほど熱心に眺めたのは「yamashirodayori」さんのブログにあった、孫可愛さに名月を自作自演された爺、婆さんのはしゃぎぶりに少し乗せられた所為かもしれない。
 ただしわが家は嫁はんと二人のお月見、雲間に隠れようが一向に差し支えはない。少し遅い晩酌を楽しんだ。

 写真の杯は、兎の背越しに月が観えるという洒落たものだが少し欠けさせてしまい、今は使っていない。気に入った物は使用頻度が高く、おのずと傷がつきやすいものだ。


この薄、やけに色が濃く茶髪のような穂をしてた。

2014年9月3日水曜日

ご用心を

よそ事と思っていたら大阪でも感染者が出たという。東京の代々木公園やその付近で蚊に刺された人が「デング熱」に感染したというニュースが流れたが日本国内での感染者は70年ぶりという事がショッキングに流されたが致死率の低さや、感染者の少なさなどで「パニックになって大騒ぎしないように」という厚労省の指導もあってか比較的平静な対応ぶりだった。
 ところがここに来て感染者の増加と東京以外への広がりで、俄かに不安になってきた。それは代々木公園付近でデング熱ウイルスを持った蚊に刺された大阪の人が病院に入院するまでの間に、つまり大阪で日常生活をしている間に大阪の蚊に刺されて、その蚊が大阪の人を刺したらその人は「デング熱」ウイルスに感染するのではないか?という不安だ。その辺をTV等はあまり伝えていないように思うのだが。
 そんなことを考えていたら、嫁はんとの会話で「そういえば昔、日本脳炎というのがあったな~」という話になった。これも蚊が媒介するウイルス性の病気だ。気になって調べたら1960年代は年間1000人程度が発症していたが、子供を中心に「ワクチン接種」を積極的に進めた結果、劇的に減少したという事だ。日本脳炎は「デング熱」などに比べ、致死率も高く、助かっても脳炎などにより後遺症を残す怖い病気だった。そういえば当時は、蚊の産卵場所になる水たまりや用水槽などにも気を付けるようにと教え込まれていたように思う。それが昔の隙間だらけの日本家屋から団地や気密性の高いサッシ窓の普及によって、いつの間にか身の回りにいる蚊の駆除は熱心でも蚊の発生そのものを抑え込む意識が希薄になってきたように思う。この意識の変化は恐ろしい。今いちど、身の回りだけでなく、地域や都市全体の環境衛生に気を配ることが必要ではないかと思う。
 アフリカで今猛威をふるっている「エボラ出血熱」も長引く内戦の結果の衛生状態の悪化や病気に対する誤った知識や迷信で患者が増えているとの報道もある。決して遠い国の話と思わず意識の強化が必要だ。