少々子供っぽいタイトルだが、まさに私の青春の大きな部分を占めたのがフォークソングだった。その昔、兄の影響でトランジスターラジオから流れるアメリカンポップスに期末テストの勉強も手につかず、親に判らぬようにイヤホーン、(当時ヘッドホーンなんていう物は無かった)を耳に、電リク(ラジオの電話リクエスト)のベストテンを書き綴っていた。そんな時代を少し過ぎたころ、アメリカンフォークソングというジャンルで「花はどこへ行った」という歌が流行った。 私が聴いたのはキングストン・トリオやPPM(ピーター・ポール&マリー)など当時モダンフォークと云われたジャンルの人たちの洗練された歌声だった。そしてこの歌がピートシーガーというおじさんが作った歌だという事を知った。 そのピートシーガーが亡くなった。1919年生まれ95歳、老衰でと新聞は報じている。私がこの歌を聴いた、というより下手なギターをかき鳴らし歌ったのは1970年代、労働組合の青年部の頃で、それまでこの歌がいわゆる反戦歌であることを知らなかった。その彼が、若い頃、アメリカ共産党の党員であり、そのことで1950年代初頭のアメリカ下院での「赤狩り」と云われた反共攻撃にさらされた事、下院委員会での証言拒否で有罪判決を受けた事なども今回初めて知った。当時、マッカーシー旋風と云われた反共攻撃が行われ、ハリウッドを中心に著名な脚本家や俳優が数多くハリウッドから追放(映画「ジョニーは戦場に行った」で有名なダルトン・トランボ監督など)され、彼もまたそのブラックリストに挙げられた一人だったがその後も、アメリカ公民権運動のシンボルソングとなった「We shall overcome」などを作り続け、晩年も環境運動などを続けたという。(Wikipedia)
偉大なる先駆者に黙祷。



