2013年4月15日月曜日

13日早朝、激しい揺れで目が覚めた。同時に、どこからか分からなかったが、かなり大きな音量で「緊急・・・・強い揺れに注意してください!」と繰り返している。いつもは小さな揺れでも悲鳴を上げる嫁はんが寝室から飛び出してこない。続けさまの揺れが収まって、やっと出てきて「震源はどこやろう」と落ち着いた声で言いながらテレビを点けている。しばらくして震源は淡路島南部とのこと、どうやら南海トラフではなさそうで少し安心した。時間の経過とともに、かって経験した「阪神大震災」の揺れと比較して、嫁はんと「半分ぐらいかな~」と話す余裕が出てきた。
 それにしても阪神大震災以降、18年間の間に鳥取県西部地震、福岡沖地震では職場で長期振動の長い揺れも経験したが、ガタガタと音のする今回の揺れは18年前の記憶を呼び起こした。
 2年前の「東日本大震災」の発生時、私はミナミのデパートの展示会場にいて揺れにまったく気付かなかった。夕方になって街頭の電気店のテレビで初めて知ったからである。テレビの画像で見る大津波の惨状や、原発の事故に対する言い知れぬ恐怖は今も持続しているものの、実体験としての「阪神大震災」の強烈な揺れを今回の地震は思い起こしてくれ、改めて地震国に生まれた宿命と覚悟を再認識させてくれた。
 で、当日は、かっての職場の退職者会の町歩きが予定されている。刻々入る電鉄の運行状況をにらみながら、決行するかどうかの判断を待った。電話での問い合わせも無い。今回利用する「京阪電車」はダイヤの乱れはあるものの、運行しているらしい、ならば、集合地点で待とうと思い家を出た。参加予定のお一人からは、JRが止まっているので、と欠席の電話があったが集合場所には1分の遅れもなく参加予定者が揃った。いや、お達者である。
 ちなみに地震発生時、強い揺れに注意、と叫んでいたのは嫁はんの携帯電話であったことが判明した。いや、これもまた進化である。
 

3 件のコメント:

  1.  キュンキュンキュンという緊急情報で目を覚ましました。阪神よりも相当小さいと感じてあわてませんでした。
     東日本のときは古いビルの4階で講義を受けていてユッサユッサと揺れましたので、揺れの種類が違うようでした。
     阪神までは、地震は三陸、関東、東海のことで近畿とは無縁のことのように思っていました。今考えると何故でしょう。
     しかし、これだけの経験をしてきたのですから、これでもこの列島上に原発を稼働させようというのは利権に目のくらんだ狂気だとしか考えられません。

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  2.  何故かレクの日は悪天候が多いですね、13日は最悪かと思いましたが遅刻者もなく予定どおり無事終了したことを安堵しています。もうこれからは悪天候に悩まされることなく行われることでしょう。
     ブログ再開おめでとう!これからに期待します。

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  3.  今回も、そして阪神のときも、関西の鉄道が99.9%運休しているときに、近鉄だけはお客をモルモット代わりに乗せてテストしながら運行しています。
     今のところ結果オーライですが、公共サービスというよりも安全軽視ではないかと心配しています。

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