2018年1月25日木曜日

事故多発の原因は?


 23日また米軍ヘリが緊急着陸をしたという報道があった。場所は沖縄県の渡名喜島の村営ヘリポートに、とある。ヘリコプターは1月の8日に読谷村に不時着した機体と同型の攻撃型ヘリAH-1コプラである。1月の6日にはうるま市の伊計島の海岸に米軍のUH-1イロコイスが不時着しており、何と1ヶ月に3件の事故(不時着、緊急着陸)を起こしている。

 これまでの米軍機の事故について小野寺防衛大臣は「去年1年間に日本国内で起きた米軍の航空機による事故は23件で、この内沖縄県内で起きた件数は14件だった。ハリス司令官からは事故件数は減っているとの報告を受けているが少し違和感がある、倍増していると捉えている」と述べた。
 ハリス司令官の「事故件数は減っている」という発言には驚くが、これには訳があって、今回のような緊急着陸は事故を避けるための予防措置であって、最も安全な選択肢を取った、と正当化している。
 なんせ一昨年のオスプレイの墜落事故を「墜落ではない、不時着だ」と言い張るぐらいだからこの点の解釈は水掛け論になる、と見逃すつもりはないがひとまず置いておいて、「空モノ好き」の私としては、なぜこれほどまでに事故が多発しているのかについて考察したい。
 一連の事故の背景には米軍が使用している航空機―ヘリコプターが旧型機に属していることが原因ではないかと思う。
 今回不時着や緊急着陸を起こしたAH-1ヘリコプターは愛称「コブラ」と云い、アメリカベル社製作の攻撃型ヘリコプター。初飛行は1965年と既に半世紀を超えている。
 うるま市伊計島に不時着したUH-1(愛称イロコイス)という機体はアメリカのベル社が製作し1959年にアメリカ陸軍で採用されたヘリコプターで、これも既に半世紀を超えてまだ現役で使用されている。
 ここで映画ファンの方に「地獄の黙示録」という映画を思い出してほしい。鬼才コッポラ監督がベトナム戦争に題材をとった映画で有名なシーンがワルキューレの騎行の音楽に乗って海岸を低く飛ぶヘリコプター、それがUH-1だ。
 ベトナム戦争において兵員の輸送や機関銃を積んで機銃掃射したりして大活躍(不適切な表現だが)した機体である。
 いずれにしても使用耐用年数を過ぎているのではないか、と思う。だから「こんな古い機体を使っていると事故が起きるよ、早く新しいオスプレイに買い替えなさい!」と云う為のアメリカの自作自演のような気がしてならない。

2018年1月17日水曜日

忘れないこと、そして、伝えること


 23年前の朝、地鳴りの音(確かに聞いた記憶がある)と強い揺れに起こされた。
 すぐに隣の部屋で寝ていた子どもの上に覆いかぶさり揺れの収まるのを待った。
 こう書けば如何にも落ち着いた行動のように聞こえるかもしれないが地震の後、何日か経った時点で思い起こした記憶の断片である。とっさの反応、行動だったに違いない。
 揺れが収まり、自分の寝床を見て驚いた。足元のテレビボードの棚に並べてあったビデオテープが枕元に何本も飛び散っていた。もしそのまま寝ていたらビデオテープのケースの角で顔面に大けがを負っていただろうと思ったらゾッとした。
 子どもを庇ったとっさの行動が我が身も守ったことになったのだろう。しかしこれも結果の話、住んでいた宿舎の被害は少なくなかったが家族3人は無事であったから云える話である。
 震災当時、まだブログは初めていなかったが3・11後のブログで「60数年の人生の中で(こんな大地震を)二度も体験、経験するとは」と嘆いていたが昨日の長谷やんのブログ「明日は1・17」で地震国日本の現実をあらためて知らされた。
 
 今日、久しぶりに訪れた三ノ宮の東遊園地は昨夜からの雨でぬかるみ、竹筒で作ったモニュメントのローソクはほとんどが消えていた。しかしあの日の事を忘れない人々が会場を訪れていた。
 地震はその予知も含めて事前に防ぐことは出来ない。しかし、被害を少なくすること、減災、防災は可能である。その第一歩は、あの日「1・17」「3・11」を忘れないこと、そして、今年のモニュメントの一文字「伝」の意味-あの時の経験を次世代に伝えることだと思う。幸か不幸か大震災を二度も経験した我々にはその責任があると思う。

2018年1月11日木曜日

 昨日よりは幾分朝の冷気が和らいでいるような気がしたが カーテンを開けた箕面の山はうっすらと雪化粧をしていた。
 朝のニュースは各地の雪の影響を伝えているし、今日も無理せず外出は控えようと思う。
 
 正月以来、家の中で楽しんでいるのが下の写真のペーパークラフト製作だ。
 ぺーパークラフトのメーカーとしては「さんけい」が有名で数多くの建築模型やスタジオジブリとの提携で「千と千尋の神隠し」に出てくる銭湯「油屋」のモデルは6万円を超す高価な物でちょっと手が出ない。
 写真の「清水寺の舞台」は「(株)カワダ」というメーカーのもので、千円未満であるが精巧なカット(最近は紙をレーザーなどでカットするらしい)がしてあり大人が十分楽しめる。


2018年1月8日月曜日

今年も(昨年末からの続き)作りました。

  義父の入院という緊急事態で作りかけのまま中断していたひげ親父特製の「くろ柿」、大晦日を挟んでやっと仕上げた。
 以前のブログを見て頂いている人にはお馴染みだろうが干し柿の中身を取り除き、皮の部分だけを巻いて作るお菓子だ。中に細切りにしたゆずの皮を巻き込んで作るのがポイント。
 少し時間が経つと最初の鮮やかな柿色がくすんで黒く変色するので「くろ柿」と名付けた。(商標登録はしていません)。

 2枚目の写真は嫁はんが作った柚子ジャムと左は大きなキンカン、昔のキンカンは、皮だけを食べるもので、よく祖母に「キンカン皮食うて実やろか」と教えられた。ところがこのキンカンは実も大きく、種以外はすべて食べられるのでこの例えも死語になるのかもしれない。

 それから3枚目の写真は今年初めて作った「茶梅」だ。毎年作る梅酒の梅の実を台湾土産の定番の「茶梅」風に作ってみた。
 去年も一昨年もトライしたのだが砂糖を入れすぎたり、煮詰めすぎたりして上手くいかなかった。
 今年は、砂糖をほんの少し、紅茶パックを入れ2~3分サッと煮てみた。これがうまくいき、皮も破けず、実は柔らかく上出来に仕上がった。

 義父の症状はまだ不確かな事が多い状況だが、口からの食事が出来るようにリハビリを開始したらしい。私もこんな家の中で出来ることで少しづつ正月気分を後追いで実感している。

2018年1月3日水曜日

今年もよろしくお願いします。

  新年明けまして
   おめでとうございます

 暮れの義父の入院もあり、正月らしい準備もせず、大晦日は息子と二人で鍋をつつきながら新年を迎えた。
 入院中であるから嫁はんは家に帰って来てもいいのだが義父が倒れる前から例のレンタル猫(2016・12・4ブログに)を預かっており、年明けの中頃までそのまま居てもらうことにしたのは、その方が嫁はんの癒しにもなるのではと思ったからだ。
 
 昨日は実家での新年会でやっと正月らしい気分になったが参加者は11人と多い時の半分ぐらいになった。
 兄妹夫婦はまだ健在だが子ども達はそれぞれ家庭を持ち、孫たちもお年玉のいらない年齢になり夫々の正月を送っているようだ。
 正月ぐらい皆で集まったら、と思いこれまで続けてきたので少し寂しい気もするがそれはそれで全うな家族のあり方なような気もする。
 まずは目出度し、とするか。

追記
 松井大阪府知事のツイッターがちょっと話題に、「新年開けまして」と書いた為に「誤字ですよ!」とか「小学校からやり直せ!」とかワイワイとなっている。本人も「新年早々大ボケ、」と云っているし、こんな些細なミスをチクチクとやるのもどうかと思う。
 ただ、「新年明けまして、、、」は重複使いで間違いという指摘もあるが私は新年のご挨拶としてこのブログでも使っているが決して間違いではないと思う。「新年が終わり、そして明けまして、となるのでダメ!」などは少し厳しい解釈ではないかと思う。