2017年3月12日日曜日

想いを伝える


 今日は大いに迷ったが「なくせ!原発 再稼働はんたい!」-3・11おおさか大集会-をあきらめて「森友学園緊急報告集会」に出掛けた。
 日本中の耳目を集める大問題の地元である豊中市での集会ということでかなりの人数が集まるかもしれないと思ったがそんなに宣伝もしていないので「2時開会」の少し前に行けばいいだろうと思い出掛けた。
 新装なった市の会館の中に入ると何やら大勢の人が集まっており、スタッフの腕章を付けた女性が必死に説明している。取り囲んでいる人たちは口々に、「どないなってるんや?」「遠いところから来たのに殺生や」と言っている。
 話を聞いていると主催者も予想外の参加者で1時前ごろから人が集まりだし、急きょ整理券(新装なったホールの為市側の規制が強まりこのホールには200人以上入れてはいかん!という事になり)を出し早々と人数に達してしまったらしい。
 何とかならんのかと粘ったが結局あきらめた。今からでは「おおさか大集会」にも中途半端だしと、こちらも諦めた。
 なんとも締まらない一日になってしまったと思いながら帰り道に立ち寄った大阪空港で思いもかけず空港内のアナウンスが「皆様も黙とうをお願いします」と呼びかけ、ほとんどの人が立ち止まり黙とうをしていた。
 私も黙とうをしながら6年前のあの日の事を思った。家に帰って6年前のブログの記事を見てみると、やはり当時群馬で働いていた息子の心配と、阪神淡路大震災の時の事が思い出され眠れない日が続いていたことが書いてある。
 当日のテレビ画面に映る津波の圧倒的な破壊力のすさまじさに絶望しかけたが本当の恐怖はその後に起こった東京電力福島原発のメルトダウンと核爆発(政府発表は水蒸気爆発と云っているが)である。日々広まっていく放射能に汚染された空気が天気予報の雨雲のように関東周辺に広がっていくテレビの画面を見ながら暗澹たる気持ちになったことを覚えている。
 ひと月がたち、三月が過ぎて原発事故の本当の原因さえも把握できない、いや、しようとしない状況に憤慨し私は新聞に「被ばく犠牲者をもう出したくない」と投書をした。ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験の犠牲となった第五福竜丸の久保山さんの死を悼み、「三たび原爆を許すな」と誓ったはずの日本が、その誓いを図らずも破り、福島原発事故により放射能の死の灰を世界に拡散しようとしていることを怒りをもって訴えた。
 それから3か月後の事だった。当時の民主党の党首選挙で候補者の多くが「原子力技術の蓄積が現実的」「短絡的な脱原発というイメージの一人歩きは危険」などと公約するのを見て、「脱原発への決意もう忘れたのか」-喉元過ぎれば熱さを忘れる-と再び投書した。-菅直人前首相は脱原発を世界に表明した。その決意は被災者に対する誓いでもあったはずだ、しかし、これら候補者の言い様は、まるで原発事故が終息したかのようである、まだ喉元も過ぎていない。熱さを感じなくなって苦痛を忘れてしまい、被災者の事を忘れていいのかと-
 あれから6年、毎年の「1・17」と「311」には「決して忘れない!」の誓いを立てている。しかし、今の安倍内閣の原発再稼働推進の政治姿勢や民進党に名前が替わっても原発村の電力労連に支配されて腰のふらついたエネルギー政策しか持てない姿を見ていると二度の投書に込めたあの時の熱い思いは冷めていることを正直に白状しなければならない。
 しかし、それではいけないのだろうと思う。立ち止まって黙とうをし、忘れませんと誓うだけでは。

 
 
 長谷やんのブログに励まされ、日付の変わった深夜に記す。
 
上の写真の「風の電話」について
  2011311日の東日本大震災の際に、自宅から見える浪板海岸を襲った津波を目にしたSさんが、助かった被災者が、亡くなって会えなくなった被災者と想いを風に乗せて伝えられるようにと敷地を整備し、祈りの像や海岸に向かうベンチを置き「メモリアルガーデン」を併設した上で開放した。
 電話ボックス内には風の電話とノートが1冊置かれ、来訪者が電話で亡き人に思いを伝えたり、ノートに気持ちを記載したりできる。
「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら あなたの想いを伝えて下さい」電話機の横にはそう記されている。
 
 
 

1 件のコメント:

  1.  おおさか集会で学んだことのひとつは、確かに風化しかかっている側面はあるが、原発ゼロの運動はまだまだこれからが勝負だということ。ドイツに代表されるヨーロッパに比べて落胆することはない。ヨーロッパの出発点は30年前のチェルノブイリにあろ。例えばポーランドの少年は、ソ連が事故を発表する前に学校で「これを飲みなさい」とヨー素安定剤を飲まされたというリアルな経験を持っている。それから30年の積み重ねが今のヨーロッパの現状なのだということ。「あきらめない」「声を出し続ける」が大事なように思います。

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