先日、阪大(刀根山学舎)で「報道の自由とは何か」というテーマで講演会があった。講師は岸井成格(きしいしげただ)氏、テレビでもお馴染みの方という事もあって会場の大学会館の講堂はミーハー的なおば様(失礼)も含めて立見も出る大盛況だった。
岸井さんは、「安倍政権と報道の自由」と題して約1時間15分熱弁をふるった。今年の3月末、自身がアンカーとして出演していたTBSの「NEWS23」を降板させられた経緯については裏話的な興味もあったが割と具体的に語られた。
毎日新聞の特集「この国はどこへ行こうとしているのか」や「NEWS23」での特番「変わりゆく国・安保法制」で、安保法案は憲法違反であり、‟メディアとしても”廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと主張した。これら一連の報道が「偏向報道だ」として「放送法尊守を求める視聴者の会」(代表:すぎやまこういち代表・他のメンバーも安倍シンパ)という訳のわからん団体が事もあろうか、毎日新聞のライバル(?)の読売・産経の2紙にあの不気味な目玉がにらみつける意見広告を掲載し岸井氏攻撃をした。このあたりの内容はかなりマスコミでも報じられ、知るところであろうと思うが、当日改めて岸井氏の口から出た内容で我々が肝に銘ずべき点は次のことに尽きるのではないかと思う。
一つは、安倍首相がマスコミ報道、とりわけ選挙報道に対していかに関心と脅威を抱いたか、そのキッカケが「椿事件」であったこと―【1993年に起きた、全国朝日放送(愛称および現社名:テレビ朝日)による放送法違反(政治的な偏向報道)が疑われた事件で、当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良氏は、「『ニュースステーション』に圧力をかけ続けてきた自民党守旧派は許せない(山下徳夫厚生大臣が「同番組のスポンサーの商品はボイコットすべきである」)」と発言したとされ、そのことをもって国会に証人喚問され追求された。以降、放送局の委縮、自主規制が始まりだしたといわれる。
*当時の政治状況は、1993年6月の衆議院解散(嘘つき解散)後、7月18日に第40回衆議院議員総選挙が行われ、与党自由民主党が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。自民党は結党以来初めて野党に転落した。
もう一つが高市総務相の「電波停止発言」問題で、日本国民と日本のマスコミ・ジャーナリズムに対し、外国のマスコミから「日本人は何故黙っているのか?」「マスコミは抗議だけで済ませるのか!」と強い調子で指摘したこと。
外国マスコミにしてみれば、一国の一大臣が、放送局の電波を止める、などということを口にすること自体が信じられないが、それを見過ごす(てはいないが)日本のマスコミ・ジャーナリズムに対し強い危惧を抱いたこと。
岸井氏は、「放送(法)が一国の政府や大臣によって決められるなどというものではない、憲法によって定められたものである」「高市大臣の発言は本当に驚いた、前代未聞である」と訴えた。
そして、今夏の参院選挙に際し、争点隠しが行われると同時に、マスコミ、特にテレビ局の選挙報道が極端に減ったことは重大だと指摘された。これも安倍首相がテレビの生番組に出演した際、街頭インタビューで「アベノミクスの恩恵は我々のところには回ってこない」という声ばかりが流され、安倍首相が「これはおかしい、もっと他の声もあるはずだ」と文句を言い、これが報道の現場に伝わり、例えば戦争法について「反対」が5人登場すれば「賛成」の人を5人見つけてこなければ放送できない、そんな事やってられないよ!という現場の声になっているという事実を紹介し結局、テレビ・報道の現場で「萎縮・自主規制」が行われているという現実がある事を述べられた。
そして私が一番強く感じさせられたのは、岸井氏の講演レジメ・「今日の国のあり方と政治のあり方をいっしょに考えましょう」の文中のこの一節である。
「私から現在の安倍政権を見ると、かなり異端であり、今や権力の暴走が始まっているのではないかととの危惧を抱くに至っております。~メディアとして反対、批判の論陣を張るのは当然であり、それをやらなかったら、ジャーナリズムの使命を放棄したことになる。~外国のメディアは安倍政権のみならず、こうした暴挙を許している日本のメディアにも厳しく、それは諸外国からの日本の国民への不信感にもつながりかねない様相です。~日本は鈍感すぎます」
「現在の状況は、テレビ局や新聞社だけに『頑張れ』と言っても無理な状況なのです。多くの国民の皆さんに今の状況を考えていただき、それぞれが出来る範囲で結構ですから日常生活の中で今日の状況について意見交換するとか、新聞社への投稿とか、SNSでの発信とか、やり方はいろいろでよいのですが、自分たちの社会における政治権力の監視に目を向けて下さると必ず変化が起きるだろうと考えております。それが第1歩だと考えているのです。」という言葉だ。
「いくら自民党だって、そこまではやらんだろう、周りがわいわい言っているだけ、戦争なんてするわけない!」という楽観論で「誰かに任せておればいい」という姿勢が自らの首を絞める事は過去の戦争やナチスの台頭などから学べるはずだ。それでも、判っているけどそこは共産党さんが頑張ってくれるはず、などという変な安心感で他人まかせで過ごしていたら大変なことになると思う。
岸井氏が言うように「それぞれが出来る範囲で結構ですから」という「出来ること」を自分で探し、実行していく事がとても大事だと思っている。
当日、岸井氏の講演の前に自ら「前座です」と講演された藤原節男氏の「原発報道の虚偽と真実」という話も非常に興味深かった。
この講演の内容はいつか書きたいと思うがあの3・11福島原発での原子炉爆発事故について1号基は水蒸気爆発だが3号機は核爆発だった、というショッキングな内容だった。
藤原氏は阪大原子力工学部卒業後、三菱など民間原子力技術畑を歩き、2006年~2009年の間、原子力安全機構で検査業務に従事し、その間、「泊原発3号機使用検査全検査での記録改ざん命令」に反抗し、機構の隠ぺい工作に加担できないとして公益通報(内部告発)を行った気骨の人であり、自らを「原子力のドンキホーテ」と称している。
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