昨日、四国から近畿西部をゆっくりと通過した台風11号、名前を「ハーロン」と呼ぶらしい。麻生圭子さんのブログ「京都のしずく」で知った。へーぇ、今でも名前がついているんだ、と思った。というのも、昔は被害を与えた土地の名をつけて「伊勢湾台風」とか「第二室戸台風」と呼んでいたし、もっと昔(終戦後、進駐軍が日本にいた頃)は、女性の名前を付け、「ジェーン台風」とか呼んでいたのである。それがいつのころからか、発生順に1号、2号と呼ぶようになった。だから同じ11号でも去年や、その前の11号と区別がつかず、何年前の11号と呼んで区別をつけなければならなくなった。
昔、家にテレビがない時代は、ラジオから逐一、流される台風の動きを家族全員が閉めきった家の中で聞いたものだった。家にテレビが来てからは定時放送が終わっても深夜まで台風情報番組が続き、ニュースとニュースの間に流れる清流の流れとか、アルプスの山々の映像が映されるのを飽きずに眺めていた。緊迫した中にものんびりした時代だった。
現代は、行政の責任問題になりかねないと、早め、早めの避難勧告や、被災状況がこまめに流される。今回の11号でも三重県の四日市市には全住民31万人に避難勧告が出されたが実際非難したのは1%にも満たなかったらしい。とり越し苦労で済めば、という感じで勧告するのだろうが、勧告せずに、もし災害があったら責任問題になるからという行政側の気持ちが透けて見える。実際31万人が避難したらどんな混乱が出るか誰も予想できないのでは、と思ってしまった。
ということで、我が家も昨日の昼前まではベランダの物干し竿を片付けるぐらいの準備しかしていなかったが、昼前になって、「赤穂市付近に再上陸しました」とテレビが伝えたころから雨風が激しくなって、ゴーヤのグリーンカーテンが御覧のようになってしまった。
我が家の台風11号による被害はこれだけで済んだが、豪雨による被害が四国中心に広がっているようだが亡くなった人の数が以前の台風被害に比べ少なかったのは、事前の情報と避難警告、勧告のお蔭なのかもしれない。
台風で思い出したことでもう一つ、大阪を直撃した「第2室戸台風」は上陸しても勢力が衰えず、台風の目もしっかりしていたと記録にある。そして私はその眼をはっきり見たのである。台風が通過中、一時、雨も風も少しおさまり、見上げる上空に丸~るく、ぽっかりと青空が見えたのである。中学生頃のことであるから、夢や幻ではない、と確信している。信じてもらえないかもしれないが確かに見たのである。どなたか、同じような経験をした人があったらお知らせ願いたい。
で、最初の台風11号の「ハーロン」という名前について、Wikiで調べたところ、日本他14か国が加盟する政府機関の「台風委員会」で2000年以降発生する台風140個に事前に名前と命名する国が決めてあるそうで今回が56個目で名付け親はベトナム国で「ハーロン」はベトナムの湾の名前だそうである。我が家の被害が少なかったからかもしれないが、昔の台風の名前が懐かしく思い出された一日だった。
へェー、そうですか。今回の台風は「ハーロン」と呼ぶのですか。勉強になりました。
返信削除数年前にベトナムを旅し、ハロン湾の観光もしたことを思い出しました。ハロン湾は海中に林立する奇岩が素晴らしい景勝地でした。
それにしてもひげ親父さん、第2室戸台風のことよく覚えていますね。残念ながら私には全く記憶がありません。
第二室戸の頃は、戸や窓を板を打付けて塞ぎましたから、台風の眼を見た記憶はありません。
返信削除さて、私の家は隣の自治体と接していますが、隣の自治体は全市避難勧告が出され、それが逐次緊急メールで伝えられました。
私の自治体は限られた区域(と家屋)だけの避難勧告でした。
私はどうするのが正しい対応だったのでしょう。
私も、「どうせ全市民が避難なんかして来ないだろう」と思いながら、責任逃れ的に勧告や指示を出したのではないだろうかと勘繰りました。
しかし、あんまりそんなことを言っているのも良くないかなあとも悩みます。
最近、台風の襲来が早くなったように思います。子供の頃はお盆過ぎにならないと日本列島には接近はしなかったように記憶していますがいつの頃からか7月から8月の初めに接近しtsり上陸したりするようになりました。
返信削除それにしても、12号に続いて11号がもたらした雨量の異常な多さは驚きです、それに竜巻の発生が多くなったようにも思います。それもこれも異常気象が原因でしょうかね?
台風の目の中にいたとの貴重な体験は誰もが経験できることではないと思いますよ、長谷やんが言うように暴風雨の最中、家の外にいること自体ないのではと考えますから!
子供の頃の私は「台風オタク」だったようで、台風が近づくと異様にハシャイでいた記憶があります。ボール紙を円形に切り、地図の上に重ね「大阪が円の右に入るから風が強い」と講釈していました。台風の眼については、明日お盆で実家に帰るので兄弟に確認してみます。
返信削除私も台風の眼を見たことがあります。小学生か中学生の頃だったと思います。ひげ親父さんのおっしゃる通り、台風の眼の中は晴天でした。その後台風が抜ける時にもの凄い風雨が襲ってきたことを覚えています。
返信削除高知はある意味暴風雨に慣れていますので、行政もそれなりに対応していますが、今度の台風が、そのまま近畿や関東に来たとすれば、大地震並みの被害になると思います。降水量1000ミリ1時間雨量100ミリは身の毛のよだつ怖さがあります。
バラやん、ありがとう、少々自信がなくなっていましたが。
返信削除豊中でも数年前に時間100ミリの雨が降り、ベランダ(7階)が冠水したことがありました。私は不在でしたが嫁はんは今でも恐怖が甦るようです。
確認その2=昨日、同級生に確認したところ「ワシも見た」と言ってました。彼の実家は台風襲来のとき、改築中で、棟上げが済んだ二階部分のむき出しの柱がギュ―とひしゃいでいました。「あれは確かに第2室戸の時やった」と台風の眼のことを覚えていました。
返信削除久しぶりにコメントします。私は小さい頃ボロ家に住んでいましたので台風の怖さは身に沁みついています。雨戸が飛ばされないように板を打ち付けたり、ローソクやお握りの準備を大人がしていた記憶が鮮明に残っています。特に「ジェーン台風」の時は隣地の杉の木が倒れていくのを覚えています。本当に怖かった。今でも怖いです。
返信削除1966年(S40)台風23号は今回の台風11号とほぼ同じコースで。午前8時に四国安芸市に940HPで上陸して神戸を直撃して若狭湾に抜けています。(気象庁のHPで調べました)丁度勤め先の職場は神戸港の直ぐ前にあって高潮で事務所の周りは水に浸かってしまい伝馬船が漂流していました。その時台風の目に入って風がやんで青空が見えたのを記憶しています。
それまでも、それからも何回となく経験しているのでしょうが人の特性で「忘れ」るのでしょう。何か印象に残った事象があれば記憶しているのだと思います。
近年の異常気象、流れる各地のニュースを我が事のように見入ってます
返信削除ひげ親父さん~~覚えてますか?
伊勢湾台風で、中学校の屋根が飛んだ事を!! 確か中1の時だと記憶していますが
その時は、私の兄の家の屋根も飛んでしまいました
給水の長い列にバケツを持ち並んだ記憶も有りますね~~
人や地域の名前の付いていた台風は私も良く記憶に残ってます
何れにせよ、自然界の営みは、厳しいですね
今回は我が家も、植木鉢が倒れたり、庭木の葉が散乱しました
世の中何でも怖いけれど、自然災害ほど怖い物は無いですね!!
確かに、コースは大阪直撃ではなかったがかなりの被害が出たように記憶しています。屋根が飛んだというのは記憶にないのですが、校庭が水に浸かり、渡り廊下にあった踏み板を筏代わりにして遊び、先生に叱られたことがありました。
返信削除ひげ親父さん 岳美さん 中学生でした 台風の眼を見たのをはっきり覚えていますよ
返信削除木の雨戸の内側のガラス戸が撓りとても怖かった暴風雨が突然止み 恐る恐る外を見ると真っ青な空でした
しばらくすると又暴風雨になりました
中学校の体育館の屋根が飛ばされましたね
私の住まいの北住宅の一キロメートルの並木道の
プラタナスの葉っぱがちりじりに千切れ丸坊主になっていました
自然災害本当に怖いですね
今日一心寺に行く電車の車窓から大和川を見ると
台風で水位が上がっていたのでしょう かなり上まで
ゴミが引っかかっていました
皆々様、本当に有難うございました。同じ体験を共有した仲間がこんなにいたなんて感動です。しかし、TVに流れる高山市の駐車場の車が濁流にのまれるシーンなどを見ると、どうも人災ではないか?と思ってしまいます。短時間の集中豪雨の所為、とばかりとは言えないのでは、この川の上流がどうなっているのか、おそらく護岸はコンクリート、ブロックで固めその上流の山々は伐採され、保水能力を失っているのでは?
返信削除自然破壊と土木技術・施工技術の低下がきっとあるのだと思います。
針葉樹を単植した山の保水能力は著しく劣ると言われています。
返信削除綾部市では古墳が一部壊れています。1500年に一度の災害だったのかも。