以前、TVでも紹介され、心待ちにしていた「野口哲哉・武者分類(むしゃぶるい)」展を京都・大山崎山荘美術館に見に行った。
野口哲哉さんは、私の好きな「小さきモノ」の具現者である。著作権の関係でブログ上の写真は「保存禁止」の措置が取られているのでその精緻な仕事ぶりは紹介できないが、彼の仕事の素晴らしい処は、単に「精緻」という事にとどまらず、図録の表紙のような「ヘッドフォンを聴く侍」のように、あり得ない現実を、さもあるように表現したり、「視力検査をする侍」のように あり得ない図、と思って目を凝らしてその板絵を見ると、絵の具のはげ具合や板そのものがまるでその時代の板を見つけて書いたような雰囲気を出している。「そんなことがある訳ないやろ」と思いつつ、作者が昔の文献、板絵を参考に作り上げたものではなかろうか?と思ってしまうのである。
作者の野口さんは中学生の頃、偶然目にした一枚の写真それは幕末期に撮られた甲冑姿の武士の姿だったそうだが映画で見る色鮮やかな甲冑ではなく古ぼけた兜を付けた侍の姿に不思議な感覚を覚えたそうだ。
SFにも熱中した少年時代であったとも述べている。そこに私が感じたのは、現実と仮想現実が入りまじった世界、まさに「星新一」ワールドではないか。
そんな表現世界と類まれなる精緻な技巧で作られる身の丈、20センチ足らずの侍のフィギュア-は「有りそうで無い」「無いようで有る」SFの世界に迷いこませる作品群であった。
おなじ頃、NHKの日曜美術館で放映した「明治の工芸-知られざる超絶技巧」も素晴らしい内容だった。明治時代、世界を驚かせた美術工芸品があった。幕末から明治維新の時代、需要の無くなった甲冑師や刀剣装飾師たちが持ち前の技術を駆使し、「自在物」と呼ばれる金物の置物や写真の牙彫(象牙の細工物)をつくり、世界に活路を見出した。今に伝わる「明珍火箸」の明珍一族もそうした職人集団だったといわれている。
写真の筍の彫り物は安藤碌山という職人の作品で京都・清水三年坂美術館にあるそうだが何回か訪れているがまだ見たことはない。他にも見事な細工彫りの逸品を残しているがこの人も生没年不詳という事でいかにも職人らしい。筍の皮のうぶ毛やその彩色の見事さは、かの故宮博物館の「翠玉白菜」に勝るとも劣らない逸品だと思う。このような名品が明治維新後、数多く海外に流失したというが残念なことだ。
面白いものを見せていただきました。
返信削除それで、これは人形ですか、フィギアですか、彫像ですか、巧みな技術で人を騙して楽しんでいるのですか。可笑しなものですが楽しいものには違いありません。
さて、まさか、ひげ親父さんは買い求めて持っているなんてことはないのでしょうね。