2012年8月26日日曜日

目にも涼しげに

 23日は「処暑」だった。【暑さも少し和らぎ、朝夕は過ごし易き頃】とあるが日中の暑さはまだまだ手強い。私流には、日中は、涼しい図書館で対処している。そこで、目で涼をとって貰いましょう。椿皿に載った「カチ割」と見えますか?実はこれ、「割氷」という四天王寺参道にある老舗和菓子舗「河藤」の銘菓である。最初に見た、というか食べる人は「氷」とまでは思わないが、大抵の人は、「氷砂糖」と間違うようで、口に含んでみて、その思いがけない噛み心地に驚くようだ。その反応を見て、ちょっと喜ぶというのが私の楽しみである。では、そろそろ、その実態を明かそうか、材料は寒天です。寒天を煮溶かし、これに砂糖を混ぜ、固めたものをさらに乾燥させたものである。この割り方に工夫がある様だが、本当に「カチ割」のようで、少しは涼しさを感じていただけましたか。

オマケです。同じ「河藤」で売っていた「うちわ」です。お盆には少し遅れたがこれも買って帰り、母の写真の前に供えた。

                              

2012年8月19日日曜日

虚実皮膜論で見れば

今年もお盆の墓参りに八尾の実家に兄弟、従兄弟たちが集まった。総勢22名、みんなそれぞれ歳を重ね、今や主役は甥や姪たちに、墓参りをはさんで昔ばなしや、甥や姪の子供の話に時間が過ぎていく。今年は、長兄夫婦が文楽の夏休み公演に行ったという話で盛り上がった。以前ブログに書いたが、私はこの間の大阪市長の文楽(彼は協会がいかん、と言っているが)攻撃に危機感を抱き、文楽友の会に入ったのだが、この「夏休み公演」はほとんどの日程が満席状態で、図らずも「橋下効果か!」と思わせる状況とはなったが、油断はできない。さてその「夏休み公演」だが、夜の部に「曽根崎心中」がかかっていた。ご存じ、近松門左衛門の名作であるが、この「曽根崎心中」について面白い話が雑誌「上方」(復刻版)に載っている。事実は、いま伝わる「心中」物とは違う、というものである。物語の主人公、お初は、大阪曽根崎の遊郭「天満屋」の遊女で 、生まれは河内高安教興寺村で百姓宗二の娘、徳兵衛は、大阪内本町の木綿問屋「平野屋」九右衛門の養子で、養父の決めた許婚があるが、その意に従わず、遊女お初に通い詰め、遂にはお初の里である高安に駆け落ちする。お初の父親の宗二が二人の行く末を案じ、教興寺の淨厳和尚(実在の人物で江戸中期、寺を再建した)に頼み込む。和尚は二人へ因果の道理を諭し、お初をとりあえず曽根崎に帰し、徳兵衛を寺の下働きとして住まわせる。
最近出来たお初天神のブロンズ像
 暫くして、お初はめでたく年が明け、徳兵衛と夫婦となり、この世を安楽に暮したという。徳兵衛が臨終の際は、お初が看取り、お初は徳兵衛が迎えに来た夢を見て、病みつき眠るがごとく往生した。和尚はこの二人の死骨を合葬し懇ろに弔ったと云う話である。その後、近松が高野山にのぼる途中、河内の教興寺を訪れ、淨厳和尚と親しくなり、この二人の話を聞き、さっそく文作し、元禄16年5月7日に竹本座で上演したと云う事になっている。さすが近松、見事に心中物に仕立て上げた訳だが、この話そのものにも、時代が合わない点があるという。
谷町筋の久成寺にあるお初の墓
近松が「曽根崎心中」を竹本座で上演したのは、元禄16年5月7日で間違いないそうなのだが、近松が話を聞いたと云う淨厳和尚は、五代将軍「綱吉」の深き帰依を受け、幕府のお召しに応じ、江戸に上り、元禄15年、江戸湯島で入寂したとなっている。つまり、和尚は近松がこの物語を上演する1年前には亡くなっており、二人は会っていないことになる。「虚(うそ)にして虚にあらず、実(じつ)にして実にあらず、この間にして慰(なぐさみ)が有るもの也」、有名な近松の演劇論「虚実皮膜論」であるが、私は高校生時代に担任だった国語の教師に、この演劇論を聞き、大いに共感したものである。話はそれるが、NHKの大河ドラマ「平清盛」の不振ぶりは、担当ディレクターの思い違い、(虚実皮膜論的に)があるのではないかと思っている。観客は真実を求めるだろうが、かといって、埃だらけの薄汚い主人公など見る気もないだろう。さて話は戻って、「曽根崎心中」の「実(じつ)」の部分であるが、お初、徳兵衛の二人が仲良く、安楽に暮した、という「実」を人形浄瑠璃に仕立て、上演して果たして大入りになったであろうか。近松はこれ以降、「冥途の飛脚」「心中天網島」と心中物でヒットを続け、これに触発されて世の中に心中する者が増え、幕府は心中物の上演を禁止した位である。世の評判をとるには、やはり実の上に虚を被せる事が、上等の手ではないだろうか、ただし、これは娯楽の人形浄瑠璃の世界の話である。

2012年8月1日水曜日

竹コプターの方が安全

 「オスプレィ」いま問題になっている飛行機である。オスプレィの意味は猛禽類のタカの仲間の「ミサゴ」の事だそうだ。でもパイロット仲間内では「未亡人製造機」と呼ばれている、それほど危険な飛行機である。この事で、ある本を思いだした。「世界の駄っ作機」という本で、元は「世界の傑作機」という本を茶化した本であるがマニアに受けて続編も多数出ている面白い本である。で、この本の中に「オスプレィ」のご先祖の様な飛行機がある。写真の「XYF-1」という飛行機である。写真で見る限りご先祖様とは言えないのだが、その設計思想が同じなのだ。
コンベアXYF-1
当時のアメリカ空軍の要求は「垂直に離着陸し、高速で移動出来る機体」という事であった。現在の「オスプレィ」は、今普天間基地に配属されている大型ヘリコプターの数倍の航続距離、つまり高速での移動、短時間での作戦行動が可能、という性能である事を設計理念に生かされて開発された機体なのだ。写真の試作機(試作機は機体番号の前にXがつく)は結局、軍の要求を満たさず、試作で終わり、「駄っ作機」の仲間入りをしたが、「オスプレィ」は事故を繰り返しながらも、軍需産業側の強い要請で、正式採用され、いま、普天間に配属されようとしているが、危険な機体であることに変わりはない。なぜ危険なのか?テレビで解説されているが「空モノ好き」の私がもっと分かりやすく解説する。まず、「竹トンボ」が飛ぶ姿を頭に思い起こして下さい。勢いよく両手で軸をこすり回し、羽根を回転させることにより空に飛んで行き、ゆっくり下りてきますね、ここがポイントです。つまり羽根は回転して上昇するが回転力がなくなっても降下の風圧で羽根は回転し、急激に落下することなく、ゆっくり下りてきます。ヘリコプターも同じ原理でローターを回転させる駆動力がなくなっても、つまりエンジンがストップしても竹トンボと同じ原理でローターの回転を維持し、パイロットの操縦で墜落する危険を回避しうると云う事です。「オスプレィ」はこの操縦が出来ないと云われている。ヘリコプターの様に上昇した後はプロペラを前に倒し、高速で飛行する。この機能を最優先する設計がなされたため、上昇し飛行に移る、飛行から着陸のため降下する際の複雑な操縦はコンピューターで制御されるが、一旦エンジントラブルでプロペラが止まってしまうと竹トンボや、ヘリコプターの様な自由回転が出来ず、急激に墜落してしまうと云う事です。それからもう一点、テレビ等ではあまり触れられていませんが、写真で見るように、「オスプレィ」のプロペラは非常に巨大で飛行機の様に前に倒したままでは、離着陸できません。地面に接触してしまうからです。空母や狭い場所から飛び立ち、高速で飛行する、この条件を無理やり備えるために作られた機体、いずれ、「世界の駄っ作機」の仲間入りをするでしょうが、これ以上の犠牲者が出てからでは遅い、防衛大臣や、首相までもが「安全性を身を持って経験する」ためにと、試乗計画まであるらしいが、「カイワレ大根」事件ではあるまいし、まったくもって国民をバカにした「お人たち」ではなかろうか!