今年は、石川啄木没後100年という事で「毎日新聞」4日、5日の夕刊に、宗教学者の「山折哲雄」さんと歌人の「三枝昂之」さんの対談が載った。この中で、
山折さんは、「啄木は単なる近現代の歌人、詩人ではなく、「万葉集」の世界にもさかのぼるような自然観、宇宙観を持った詩人だった。
『不來方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心』という歌は、魂が身体から遊離する感覚を歌っており、挽歌を中心とした「万葉集」に見られる身心分離の人間観の根底にあるもので、その感覚は、『よし野山こずゑの花を見し日より心は身にそはずなりにき』と歌った、西行まで受け継がれるもので、これが啄木の歌とつながった。
啄木は、単なる近現代の歌人ではなく、古代以来の歴史を貫いて受け継がれてきた日本人の重要な感覚を、平易で、柔らかい自然体の歌で、表現したひとではと思います。」と述べられている。
三枝さんは、「与謝野鉄幹・晶子ら明治時代の新しい短歌は若者の歌でした。『みだれ髪』から約10年後に出た『一握の砂』は啄木自身、『従来の青年男女の間に限られたる明治新短歌の領域を拡張して、広く読者を中年の人々に求む』と広告している。
若者の歌が青春を歌うのに対して、中年の歌は仕事の苦しみ、家族のあつれき、愛情など生活全般に主題が広がる。自分を取り巻く生活環境の中で感じ、考えたことを表現する近代短歌のテーマの広がりは啄木に始まるのではないか。」と、とかく斉藤茂吉と比べ、「素人好み、感傷的」と評されるが、わずか3年の作歌活動で終わったがその功績は大きいと評価されている。
話は変わるが、四天王寺の「古書まつり」で友人が好きであろうと、「石をもて追はるるごとく」という古書を買った。著者は「岩城之徳」表紙の絵は「中川一政」。巻頭に-啄木を偲ぶ-として「金田一京助」の序歌が寄せられている。
今少し生けらばただに見たりけむプロレタリアの大きな動きを
君が死んで十年たたず君をたたふプロレタリアの世となりにき
君の世はいざこれからといふまでに漕ぎつけて体力つかひはたしき
金田一京助は終生変わらぬ親友であった。
ひと夜さに嵐来りて築きたる
返信削除この砂山は
何の墓ぞも