以前、東北地方-「藤沢周平の舞台を巡る」-旅でご一緒した蕪村研究家の T さんに教えてもらった都島区の「蕪村公園」に梅雨の合間を見て行ってきた。
手づくりの案内パンフを頼りに公園内を散策、公園があるこの辺りが蕪村の生誕地、「摂津の国、毛馬村」であることから大阪市が整備し、「蕪村公園」とした。園内には有名な句が刻まれた句碑が林立し、柵には短冊を模したプレートが貼りめぐらされている。
蕪村自身は、芭蕉亡き後の俳諧の乱れを嘆き、芭風を再興した人物であり、軽妙な俳画とともに今もその人気を芭蕉と二分するがこの風景を見てどう思うか、ふと思った。
今回のプチ探訪にはもう一つの目的があった。蕪村公園のすぐ横が有名な「毛馬の閘門」である。昔、この辺りに大叔母が住んでいて、夏休みには祖母に連れられて1~2泊するのが恒例行事だった。
夏休みの宿題を持参し、一緒に行った兄に叱られながら絵日記をつけたりするのだが、何よりの楽しみは大叔母に「バナナ」を御馳走して貰える事だった。そして、もう一つの楽しみが「毛馬の閘門」の上に立ってすさまじい水の流れを見に行く事だった。
当時は、その名前の面白さから「毛馬のコーモン」と思い込んでいたが、どうもその横にあつた、「荒い堰」だったようだが、轟々と音を立てて流れる水量は恐ろしいくらいの迫力で、ちょうど滝の水を見るように飽きもせず眺めていたのを思い出す。
大叔母の家は淀川の堤の下あたりの長屋だったように記憶していたので、その辺りを1時間近く歩いてみたが半世紀も前の記憶では役に立たず、諦めて帰ることにした。
1 先日老人施設で時鳥の話が盛り上がり「ほとゝぎす平安城を筋違に」は時鳥らしいと評判でした。
返信削除2 私も同じように小さい頃、今の東天満に親戚がいたのでケマノコーモンにはよく連れて行ってもらったのですが、その風景は全く記憶からとんでいて、今ではケマノコーモンという言葉だけに郷愁を感じます。たしかに、小さい子にはコーモンという言葉がおかしかった。
短冊プレート。写真の限りでは何か板樒みたいでパッとしませんね。もうチョッとどうにかできないんですか。民主党ですか。
返信削除私も、蕪村にもっと触れたいと常々思っています。かの人の人生の苦労から生まれたと思われる、わび、さび、それでいて何となくのそれらを超えた滑稽さのある俳画、俳句の境地が好きです。
返信削除蕪村の有名句のほとんどを集めたのが「蕪村句稿貼交屏風」と云われるもので、その素は「自筆句帳」だといわれています。蕪村没後、一人娘の嫁入りの費えに充てようと門人たちが春夏秋冬54句を屏風に仕立て、頒布したもので「嫁入り手」と云われているそうです。
返信削除東北旅行の際、Tさんの計らいで本間美術館で展示時期ではなかった屏風を特別に、間近に見せてもらった時は参加者一同、興奮した事を思い出します。「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿さまに」と唄われた本間家の凄さにも驚かされました。
本間美術館で特別に観たという話も驚きです。
返信削除私は短歌、俳句、川柳等には全く才能がないと自覚していますが、詠むのは嫌いではありません。高橋治が「蕪村春秋」の冒頭の冒頭で、「世の中には二種類の人間しかいない。蕪村に狂う人と、不幸にして蕪村を知らずに終わってしまう人とである。」と言っているのに感心しています。