前のブログで「ぼつぼつ片付けますわ」と言ってから3週間ほど経つが文庫本の本棚はほぼ元通りになった。
文庫本は池波作品や藤沢周平の時代物、宮部、北原らの女性作家の時代物などが殆どで整理し捨てるものが無かったので元の棚に戻ったというわけである。
そんなある日、PCで会報編集をしているとまた余震があった。震度1か2程度の揺れであまり驚かなかったがふと左手の本棚を見ると何か違うものを感じた。
よく見ると棚の仕切り板が傾いているではないか、ホゾが外れている、左側板が湾曲している、後ろの背板が歪みの所為で釘ごと外れている、各仕切り板も本の重みで下に曲がっている、など色んな変化(傷み)が一気に眼についた。
多分18日以来、徐々に変化していたのだろうが全く気がつかなかった。左の本棚には「上方芸能」や嫁はんの美術全集など大型で重い本が並んでいた。文庫本の整理が済んで「これ位にしといたろ」と思っていたがこれでいよいよ古本の整理の決心が固まった。
連日「命の危険がある暑さ」という警告ともいえる天気予報が続いている。全国のお天気マークは真っ赤っかで見るだけでもうんざりする。
こんな時は近くのスポーツジムのプールに逃げ込むのが一番なのだが此処も地震の影響で現在閉鎖中、あとは図書館しかないので近頃は雑誌「上方」復刻版全巻の再読に挑んでいる。
焼けるようなベランダの睡蓮は今年も涼しく咲いてくれている。
2018年7月24日火曜日
2018年7月2日月曜日
ガラ携の小さな画面に
18日の「大阪北部地震」以来、散乱した書類や本、食器類の後片付けに手を取られブログの更新が出来なかった。いや、正直に言えば「片付ける気が起こらなかった」というのが本音であった。
朝食のテーブルに着いたところに突然の大きな揺れが食器のぶつかる音や嫁はんの悲鳴と共に襲ってきた。揺れは大きかったが避難行動をする間もなく短い時間で収まったが窓の外からは近所のマンションの緊急警報がけたたましく続いた。
あれから2週間、最初の1週間は余震が続くので義父宅(義父は入院中であったので何事もなかった)に避難した。我が家から歩いて15,6分の同じ市内なのにほとんど影響が無かったのは阪神淡路大震災の時もそうだったがどうも違う断層の所為ではないかと思っている。
我が家の辺りには「仏念寺山断層」というのがあって、この断層は上町断層帯の北側にあたり、位置的には豊中市北部から南へ続き、吹田市を通って大阪市内の上町断層に繋がっているそうだ。歩いて数分のところにその断層が地表に現れた「大阪層群の露頭」というのが見られる場所があり、阪神淡路のあと、その露出断層の表面がボロボロ剥がれ落ちているのを見た記憶がある。その断層は学者の反対にもかかわらず、2013年頃に宅地になり姿を消した。
地震直後、息子からメールが入り、「家の中は散らかっているが二人とも無事」と震える手で返信した。その後も神奈川や滋賀県の友人から「大丈夫?」や「滋賀も結構揺れたけど大丈夫?」とメールが届き、そのつど震えが続く手で返信をしたが友達の優しい気づかいに胸があつくなった。(後になって八尾の実家や府内の友達からは電話(固定電話)が繋がらず随分心配をしたとの連絡があった)。
その後も皆さんから「片付けに行くよ!」など多くのメールが届いた。私の旧いガラ携の小さな画面に多くの方たちの優しい気づかいが溢れ出ていて本当に嬉しく有難かった。
家の中は少しずつ片付いてきている。この際に古本の整理もしようかと云う位のつもりで無理をせずゆっくりやるつもりだ。
皆さん、本当に有難うございました。
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