今年のノーベル文学賞にアメリカのシンガーソングライターの「ボブ・ディラン」が選ばれた。授賞理由は「米国の偉大な歌の伝統で、新しい詩的な表現を想像してきた」という事である。ここで云う「偉大な歌の伝統」が何であるかはよくわからない。また、ノーベル文学賞の対象が小説(家)だけなのかという論争も起こっているようだ。
ただ現時点でわかっていることは歌(手)としてではなく詩(人)としての受賞だろうという事だ。
それとディラン自身が受賞について何らコメントを出していないし、果たして授賞式に出てくるのかさえ判らないという状況である。私は出席しないと思う。
さて、ノーベル文学賞の受賞についてはこれ位にして、スノーさんから「汚らわしい写真よりディランの事を教えて」というリクエストがあったので私の知っていることを少し書いてみたいと思っている。
少し前に(2014年1月のブログで)ピートシガーが亡くなったことについて想いを書いてみた。
シガーは「フォーク(ソング)の神様」と呼ばれたのに対し、ディランは「フォークの貴公子」と呼ばれた時代があった。それほどカッコよかった。
しかし、1965年のニューポートフォークフェスティバルでそれまでのアコースティックギターとハーモニカのスタイルを捨て、エレキギターをかき鳴らして歌った。フォークロックの誕生である。
以降、彼のスタイルは変わっていない。しかしこの変貌はフォーク(プロテストソング)からの転向と見做され、フォークファンのブーイングを浴びた。
この種の出来事は日本でもかって岡林信康がプロテストソングに行き詰まりを感じ長い隠遁生活を経て歌謡曲・演歌に目覚め現在に至っている。
アメリカでも日本でも「フォークはプロテストフォークであるべき」という信奉者は存在し、この種の転向を認めようとしないのである。
ディランはその後「私はフォークの神様ではない」と答えて、シガーとは違う道を歩んでいる。
結局、どちらが正しいか、という問題ではないと思う。ディランも岡林も自らのスタイルを築き、現在も活動を続けている。それが答えのように思う。
彼は多分出席しないと思う。