野口哲哉さんは、私の好きな「小さきモノ」の具現者である。著作権の関係でブログ上の写真は「保存禁止」の措置が取られているのでその精緻な仕事ぶりは紹介できないが、彼の仕事の素晴らしい処は、単に「精緻」という事にとどまらず、図録の表紙のような「ヘッドフォンを聴く侍」のように、あり得ない現実を、さもあるように表現したり、「視力検査をする侍」のように あり得ない図、と思って目を凝らしてその板絵を見ると、絵の具のはげ具合や板そのものがまるでその時代の板を見つけて書いたような雰囲気を出している。「そんなことがある訳ないやろ」と思いつつ、作者が昔の文献、板絵を参考に作り上げたものではなかろうか?と思ってしまうのである。
SFにも熱中した少年時代であったとも述べている。そこに私が感じたのは、現実と仮想現実が入りまじった世界、まさに「星新一」ワールドではないか。
そんな表現世界と類まれなる精緻な技巧で作られる身の丈、20センチ足らずの侍のフィギュア-は「有りそうで無い」「無いようで有る」SFの世界に迷いこませる作品群であった。
写真の筍の彫り物は安藤碌山という職人の作品で京都・清水三年坂美術館にあるそうだが何回か訪れているがまだ見たことはない。他にも見事な細工彫りの逸品を残しているがこの人も生没年不詳という事でいかにも職人らしい。筍の皮のうぶ毛やその彩色の見事さは、かの故宮博物館の「翠玉白菜」に勝るとも劣らない逸品だと思う。このような名品が明治維新後、数多く海外に流失したというが残念なことだ。