2013年7月7日日曜日
国民平和大行進
毎年参加している「国民平和大行進」といっても最近は、大阪から兵庫県への最終半日コースである。ところがその半日がキツクなりつつあり今年は、前日の無理がたたり、腰痛発症で断念し、出発集会だけ参加した。私より年上の仲間が府内通し行進をされているのに申し訳ないやら、情けないやら。
そんな気持ちに被さるように昨日6日、長崎の被爆者、山口仙二さんが亡くなられた。1982年の国連軍縮特別総会に参加し、自らのケロイド写真を掲げ「ノーモアウォー・ノーモアヒバクシャ」と国際社会に訴えた。その山口さんと同じく、長崎で被爆体験をした労働組合の大先輩のF氏が「原爆、平和、わが長崎」というDVDを最近出版(どう言ったいいのか分からないので)され、退職者の会を通じて頂いた。現役時代、生で聞いた話や、これまで知らなかった当時の生々しい話が視聴出来て、あらためて原爆、核兵器のむごたらしさを実感した。
そんな感慨に浸っているとき、明日、8日に「原発新規制基準」が施行されることになり、関電をはじめ全国で10ヶ所の原発が再稼働の申請をするらしい。福島第1原発の事故原因の真相解明や、原子炉の廃炉にいたる処理方法も定かでないこの時期に!再稼働申請するとは、
そこにあるのは、儲け第一主義の大企業の心底しか見えない。
また、その新基準というものの中身を見て心底驚いた。
まず、過酷事故を想定してフィルターがついた ベントを設置すること。つまり、外部への放射能の拡散を抑え、原子炉内の圧を下げる装置の義務付け、そして、全電源喪失に備え、外部電源の確保、電源車の配備、津波対策、なぜ今までそういう義務付けがなかったのか?そもそも、過酷事故を想定していなかったからである。いったい何が最高水準の安全対策だったのか?まさに、安全神話である。今度の新規制基準が「新しい安全神話」にならないように厳しい目を国民は持たなければならないだろう。その審判が間近に迫っている。正しい一票を!
おまけにもならないだろうが我が家の今年のグリーンカーテン、横への伸ばしがうまくいかずスカスカである。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
平和行進というと、昔はよく団扇太鼓のお坊さんが歩いておられました。そして行進中には日本高等学校教職員組合が「日高教」という旗を掲げていたので、「ヒダカキョウさんとは、どちらの御宗旨で?」と尋ねられたという笑い話がありました。
返信削除私が半日歩いた日には原職時代の労働組合のリレー旗は休憩していましたが、何人かとは会いました。
ひげ親父さん、こんにちは。
返信削除今日私も、原発について思うところをブログに書いてみました。
テレビのニュースを見ていると、「雇用のために再稼働してほしい」という「地元の声」をあえて流していましたが、非常に不正確で見識のない編集だと思います。
あまり幸せなことではありませんが、本当の廃炉工事はこの先相当な時間もお金もかかります。それは反対に言えば、地元の雇用にもつながります。
原発について、それぞれが心の琴線に触れる角度は違うと思います。自由闊達に語り合いたいものですね。 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/
フクシマ第1の吉田元所長がお亡くなりになりました。
返信削除責任回避の東京組に対抗して現場を指揮した辛さは言葉にできないものがあっただろうと思います。
全国の、いろんな組織の中間管理職として働く人々は身につまされたことでしょう。
多くの人々が「言いたいことを墓場まで持って行って」今日の企業社会があるといことを重い気持ちで噛締めています。
福島の現場では90倍のセシウムが出た、原因は分からないと、言っているのに、東電社長は「再稼働を申請したい」と人命より、儲けか!
返信削除原発が再稼働しなければ電力不足になる。「これは嘘です。私の住んでいる四国では確実に嘘です!。」電力不足を心配するのであれば、太陽光発電の電気の買い取り価格を下げてはいけません。安全神話が崩壊した今、太陽光発電の助成とかそういう事に政府はお金を使うべきです。今の政府は、原発資本のためだけに動いています。原発を止めるのはいつでしょう?今でしょう!!
返信削除まさに仰る通り!今度の参議院選挙で「原発ノー」の声を国会の主流にしなければ日本は永遠に汚染され続けます。
返信削除平和大行進で記憶にあるのは、毎年行進させてもらったことと、長谷やんが頑張っていたことを人づてに聞いておりました。坊さんやとうし行進の凄い人にも会いました。ひげ親父さんと行進したことも覚えております。
返信削除「日高教」は何処の宗教ですか?ではありませんが、新幹線で国鉄労働者から、読み間違えて「○○さんの○○さん」の放送があったのは鮮烈に覚えています。
平和行進の思い出は数々あるのですが、私の(いろんな)運動の原点ともいえる経験を少し書きます。平和行進が始まって間もない頃、滋賀県の野洲か草津の田園地帯を歩いていた時です。炎天下の野道を力なく歩いていると後ろから断続的に汽笛の音が近づいてきます。何事かと振り返ると、横を貨物列車が通過していき、デーィゼル機関車の運転席から左手を振る運転士があっという間に通過していきました。国労(当時はまだ国鉄でした)の仲間が連帯の汽笛を掛けてくれたのでした。70歳近くになった今でも、あの汽笛を思い出すと胸が熱くなります。
返信削除感動は何歳になっても、衰えることはないと思います。ひげ親父さんの感動これは、一生もんの宝だと思いました。素敵な感動に感謝と拍手をおくらさせていただきます。
返信削除