東京の歌舞伎役者(今は俳優と呼ぶが)十八代目中村勘三郎が57歳という若さで亡くなり、お別れの会が盛大に行われたとテレビのワイドショーが報じていた。画面では、ご遺族が遺骨を胸に思い出の浅草を訪れると、「三社の神輿」が出迎えた。江戸っ子というのは、粋(関東ではイキ、関西では″すい″と呼ぶ)な事をするもんだ。私は勘三郎の舞台を直に観たことはないがニューヨーク公園や平成中村座など歌舞伎の人気を大いに高めた人である。これから、という時にあの世に旅立った。父である十七世勘三郎から引き継いだ「俊寛」はぜひ観たかったが。
歌舞伎と云えば私の先輩の息子さんが中村雁治郎(現・坂田藤十郎)門下の弟子になられ、、毎年夏の国立文楽劇場での公演を何回か観に行った事がある。若手の勉強会という事もあって、気楽に観賞できる良い会であった。その関西(上方)歌舞伎も文楽と同様、長らく低迷を続けてきた。私見ながら「松竹」という会社の経営姿勢に問題があった様に思うが、それは別にして上方歌舞伎は江戸歌舞伎の「荒事」に対し「和事」という柔らかな所作事が特徴の芸である。その代表が一連の近松の「心中物」ではないだろうか。中でも、初代・雁治郎の「心中天の網島」の「紙治」-紙屋治兵衛は当たり役であったらしい。
その芸は、二代目、そして当代、藤十郎に引き継がれていく。写真の「紙治」は初代か二代目かは分からないがいわゆるブロマイドとして売られていたものだろう。人気の高さがわかる。
その関西歌舞伎も戦後、低迷を続け、有望な役者は関東に移り、二代目雁治郎も息子の扇雀とともに上方歌舞伎を去り、映画やテレビに活躍の場を見つけた。旅役者を描いた「浮草」や「鍵」などの谷崎文学作品にはなくてはならない俳優となった。晩年、東京歌舞伎に加わり、上方歌舞伎の和事芸を魅せて人間国宝にもなったが遂に上方には帰ってこなかった。同様に大映のスターとなった市川雷蔵も関西歌舞伎から映画界に転進した一人である。映画での活躍に松竹は大いに慌てたと云うが脇役役者の子としか見なかった会社の俳優育成の拙さがもたらした結果だった。市川雷蔵についてはもっと書きたい事があるのだがまた別の機会に。
さて、上方芸能の代表である文楽と歌舞伎であるが、文楽は「誰かさん」に貶されようが、東京公演はあるものの、何といっても関西、浪花の文化である。国立文楽劇場を拠点に頑張って復活の兆しも見え始めている。しかし、上方歌舞伎は残念ながら大阪の地での一本興行は難しいようだ。その原因は、大阪に歌舞伎専門の劇場が無い事ではないかと私は思う。関東での歌舞伎の今日の隆盛の一因は「歌舞伎座」という専用劇場があってのものではないだろうか。大阪にも昔、「新歌舞伎座」という名の劇場はあった。こけら落とし公演だけは歌舞伎を公演したが、経営者側は歌舞伎専用とは考えていなかったようで、その後は、杉良太郎座長公演など歌舞伎以外での公演のみとなり遂には閉館となってしまった。辛うじて「大阪松竹座」が年数回の歌舞伎公演を行っているが、、、。身近な例として、「天満天神繁盛亭」の成功がある。上方落語四天王の奮闘で今日の復活を遂げた上方落語界だが、これまで、所謂「落語専門の定席」が無かった。繁盛亭の成功で復活なった上方落語の定着が見られるという。歌舞伎の場合、その舞台装置や関係者数など、そう簡単に劇場が見つかる訳ではないだろうが、坂田藤十郎、片岡仁左衛門という名優が健在な内に、再びの隆盛を願うものである。
「頬かむりの中に日本一の顔」
初代・中村雁治郎の「紙治」を評して大阪の川柳作家・岸本水府が詠んだ句である。
何よりもブログの更新を祝します。
返信削除勘三郎には華があったと思います。妻と「大阪城での平成中村座を見ておいてよかったなあ」と言い合いました。
返信削除それから、松竹座の大向うに座ったとき、すぐ近所から飛び出す掛け声にはワクワクして「私も発してみたい」と思いましたが、あれはなかなかできませんね。
それで、先日大阪駅前で掛け声を練習しましたが、これはバッチリでした。あはは・・・
先週、京都南座の顔見世にワイフと一緒に行きました。団十郎が休演でしたが久振りの鑑賞で楽しかったです。「梶原平三譽石切」で名刀の試し切りで胴切りにされる罪人が酒飲みの「剣菱呑助」。酒の上の過ちの殺人でしかも極悪人の風姿でなく首から縄を掛けられた痩せた貧相な姿で弱弱しく酒の駄洒落で泣言を言う処、観客席から笑い声が出ていましたが・・又、リアルに真二つにされる演出に私は哀れで同情の想いで見てました。私も「危ない、危ない!」でもそんな酒で暴れる元気も無いか・・・ともあれ勘三郎の死直後の勘九郎の襲名披露の舞台でしたが勘九郎の若々しい「曽我兄弟の五郎」。坂田藤十郎の勘当された極道の若旦那の「スネタ」所作を見させてもらいました。そんなことで年末年始のアルコールもほどほどに。と思っています・・今年一年楽しいブログ有難うございました。来年は元気を取り戻しましょう。
返信削除そうそう、あの若旦那というよりアホぼんの「じゃらじゃら」した所作こそ上方歌舞伎の「和事」の真骨頂とも云えるものですね。紫紺の衣装が目に浮かびます。
削除年明けましたら空モノへ行きましょう!連絡いたします。