今日の「赤旗」の書評欄に「山田洋次と寅さんの世界」【吉村英夫著】の書評を櫻田忠衛さんが書いておられる。「私は山田洋次のファンではあるが、山田洋次の作品のすべてを肯定している訳ではない。そのスタンスで本書を読んだが、、、」として、映画「男はつらいよ」で山田監督が描こうとした世界を『家族と柴又や寅が旅する地域のコミュニティーであった』こと、『今世紀になって無縁社会がいわれ、経済的弱者が社会から切り捨てられているとき、山田(監督)が提示してきた寅さんの世界は重い』と評されている。私は、この筆者【吉村英夫】が1981年に書いた「男はつらいよの世界」を映画好きの友に勧められて読んだが、冒頭に、「一部の者が富と権力を独占しつつ多くの民衆は真に生きる喜びを享受でき
ない生活に追いやられていったのが1970年代の日本である。・・・勤労民衆を中心に地底から想像と建設の響きがほうはいとして起こってくるのもまた1970年代であった。矛盾が露呈し人々の怒号が爆発し整然と組織化されるのを恐れる者たちが、人間の心を貧しくする煮ても焼いても食えない低俗な括弧つき文化を流し込みかきたてることで、矛盾をいわば民衆内部にすり替えることに必死になっているときに、山田洋次はフ-テンの寅を創造して、人がふれあい信じあいつながりあえる事のおおらかなメッセージを勤労民衆に送り込んできた」と情熱的に書いている。
櫻田さんは、今回、著者【吉村英夫】氏が、山田監督が小津安二郎監督の「東京物語」へのオマージュとして撮った最新作「東京家族」をもって「山田洋次」論の完成が成されるのではないか、と期待しておられる。私も四半世紀を超えて「フ-テンの寅・山田洋次」の世界の解明を期待したい。ところで、前回のブログで、フィルム映画にこだわり続ける山田洋次監督の姿勢に共鳴し、フィルム映画上映館の復活を願う、とブログしたが、ここでお詫びしたいと思う。先日、大阪の書店でDVD「小津安二郎大全集」なるものを買ってしまった。「東京物語」はじめ全9作品が収めてある。店員さんに何度も確認したが、間違いなくオリジナル、9作品が入っているとの事、その値段が、なんと驚くなかれ、1,980円 なのである。盤には Made in Taiwan とあった。山田監督、寅さん、すみません。
2012年9月30日日曜日
2012年9月10日月曜日
寅さん、南座に現れる
友人から券を貰ったので京都、南座に行ってきた。監督生活50周年「山田洋次の軌跡」展。午前と夕方の映画上映の合間に舞台上に「くるま屋」のセットを組んで見学できるようになっている。また、観客席横のロビーは「男はつらいよ」を中心に、山田監督の全作品の紹介とスチール写真が並んでいる。3階のロビーには映画撮影時の渥美清さんの控室を再現した特別コーナーもある。勿論、寅さんの決めスタイルのチエックのダブルのスーツと旅行鞄、雪駄も展示してある、寅さんファンには涙ものだ。
今回の映画上映と展覧会が何故、南座で行われることになったのか?山田監督は「35ミリフィルムがこの世から姿を消そうとしています。映画の製作と上映がデジタルにとってかわるのです。」「フィルムがデジタルというきわめて効率的な媒体に代わると云うことは、例えばトーキーやカラーフィルムのような新しい表現手段の誕生とはハッキリ違って、映画産業資本の都合によってフィルムを奪われたという思いを映画人の我々は抱いてしまう」とパンフレットに述べている。続けて監督は「そんな中、ここ京都南座でぼくの全作品をフィルムで上映すると云う企画が生まれた。大劇場での35ミリフィルム上映はもしかしてこれが最後になるのでは」と述べてもいる。あくまでフィルムでの撮影にこだわる監督らしい企画ではないだろうか。そして、もう一つの疑問「何故南座なのか、」これは私の推論だが、京都は、一時期「日本のハリウッド」と呼ばれ、名だたる名作も、娯楽映画も多数生まれた土地である。企画の意図もそんなところにあったのかもしれない。 これから何回か、南座に足を運ぶつもりだ。(というのは、もう一つの映画祭、「木下恵介生誕100年祭」上映会が大阪で9月7日で終了した)さて、やはり映画はいい!テレビ映画やドラマは日常生活の場の延長線上の茶の間で見てしまうが、わざわざ映画館に足を運ぶという作業が映画そのものの価値を高めているように思う。これは、文楽でも、落語会でもそうだと思う。
それと映画について、私は、昨今はやりのハリウッドのSFXや、眼のついていけないような派手な映画にはあまり興味がない。子供の頃、実家の隣がアイスキャンデー屋さんで、近所の映画館で売るアイスを配達していた。その配達の折に、自転車の後ろについて行き、おっちゃんの顔でタダで入れてもらえる事が出来た。いつも、という訳ではないが、声がかかると喜んでついて行った。当時、近所の映画館はもちろん封切り館ではなく、東映や大映のチャンバラ映画の3本立て、アラカン(嵐勘十郎)の鞍馬天狗の活躍にわくわくしたものだ。少しマセてきた頃に見たフランス映画の官能さ、馬が小さく見えたジョン・ウェインの西部劇、これらをもう一度見ようと思うと、どうしてもDVDになってしまう。今回のように、大劇場でもう一度見てみたいものだ。
今回の映画上映と展覧会が何故、南座で行われることになったのか?山田監督は「35ミリフィルムがこの世から姿を消そうとしています。映画の製作と上映がデジタルにとってかわるのです。」「フィルムがデジタルというきわめて効率的な媒体に代わると云うことは、例えばトーキーやカラーフィルムのような新しい表現手段の誕生とはハッキリ違って、映画産業資本の都合によってフィルムを奪われたという思いを映画人の我々は抱いてしまう」とパンフレットに述べている。続けて監督は「そんな中、ここ京都南座でぼくの全作品をフィルムで上映すると云う企画が生まれた。大劇場での35ミリフィルム上映はもしかしてこれが最後になるのでは」と述べてもいる。あくまでフィルムでの撮影にこだわる監督らしい企画ではないだろうか。そして、もう一つの疑問「何故南座なのか、」これは私の推論だが、京都は、一時期「日本のハリウッド」と呼ばれ、名だたる名作も、娯楽映画も多数生まれた土地である。企画の意図もそんなところにあったのかもしれない。 これから何回か、南座に足を運ぶつもりだ。(というのは、もう一つの映画祭、「木下恵介生誕100年祭」上映会が大阪で9月7日で終了した)さて、やはり映画はいい!テレビ映画やドラマは日常生活の場の延長線上の茶の間で見てしまうが、わざわざ映画館に足を運ぶという作業が映画そのものの価値を高めているように思う。これは、文楽でも、落語会でもそうだと思う。
それと映画について、私は、昨今はやりのハリウッドのSFXや、眼のついていけないような派手な映画にはあまり興味がない。子供の頃、実家の隣がアイスキャンデー屋さんで、近所の映画館で売るアイスを配達していた。その配達の折に、自転車の後ろについて行き、おっちゃんの顔でタダで入れてもらえる事が出来た。いつも、という訳ではないが、声がかかると喜んでついて行った。当時、近所の映画館はもちろん封切り館ではなく、東映や大映のチャンバラ映画の3本立て、アラカン(嵐勘十郎)の鞍馬天狗の活躍にわくわくしたものだ。少しマセてきた頃に見たフランス映画の官能さ、馬が小さく見えたジョン・ウェインの西部劇、これらをもう一度見ようと思うと、どうしてもDVDになってしまう。今回のように、大劇場でもう一度見てみたいものだ。
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