奇跡の復活はならなかった。
正月以降の平穏な病状から6月6日の百歳の誕生日もあり得ると思っていたのだが。
先週の月曜日に主治医から肺炎の症状が進んでおり予断を許さない状態だ、と告げられて覚悟はしていたが毎日見舞いに行って帰ってくる嫁はんの報告では「酸素マスクをつけ呼吸も荒いが時々目を開け問いかけに頷いたりしている」という事で、もしや奇跡の復活もあるのではと期待もしていた。
しかし、意識があるうえ、熱もあり、荒い呼吸の義父を見ているとこれ以上の頑張りを求めるのは忍びず「ガンバレ!」とは云えなかった。
2年前の6月6日の私のブログ「見守り(ゆるやか介護)の日々」に書いた様に、私が「98歳になって思うことは何ですか?」とホワイトボードで訊ねると「長生きするのも現状で十分」と書いていた事を思い出し、大正、昭和、平成を生きた義父に「ありがとう、立派な人生でしたね!」言ってあげたい。
これまで年賀状に使わせてもらった絵手紙だがデイサービスのファイルの中から写真の絵手紙が見つかった。最期は言葉も交わせなかったが「ありがとう」の笑顔の絵文字がエンディング・メッセージだと思いたい。
子が親を見送るのは自然の摂理とはいえ、月並みですが心からお悔やみ申し上げます。「ガンバレとも言えず」の言葉は重いですが、私は心底から同意します。この頃は反対の立場でそうありたいと思っています。素晴らしい絵手紙です。感動です。
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