七年目を迎えた「東日本大震災」と「フクシマ原発事故」、今年は家のテレビの前で黙とうをした。
朝からの冷え込みに集会と行進に出かける気力を無くしていたからといえば聞こえはいいが。
そういえば昨年も森友学園問題の報告集会と3・11集会のどちらを取るかで迷い、結局3・11集会には間に合わずだったことが去年のブログに書かれていた。
~あれから6年、毎年の「1・17」と「3・11」には「決して忘れない!」の誓いを立てている。しかし、今の安倍内閣の原発再稼働推進の政治姿勢や民進党に名前が替わっても原発村の電力労連に支配されて腰のふらついたエネルギー政策しか持てない姿を見ていると二度の投書に込めたあの時の熱い思いは冷めていることを正直に白状しなければならない。~
と書いている。
今年の3・11は安倍内閣の森友疑惑隠しの真相の一端=財務省の国会報告文書の改ざん疑惑=が事実だったことが明らかになったタイミングだった。
そんな中でテレビに流れる安倍首相の七周年追悼式での式辞のなんと空虚なことだろうか。自らの関与が明らかにされるかも知れないという不安が追悼式主催者以上の焦燥をもたらしていたのかもしれない。
だからと云って、彼等を許すわけにはいかない、何故なら自らの関与を隠すために、すでに自殺者まで出してしまっているのだから。だから、テレビの前で黙とうをするだけではいけない、佐川長官の辞任で幕引きにさせてはいけないと思う。
かって米国の「ウォーターゲート事件」はワシントンポスト社などの粘り強い追求でニクソン政権を辞任に追い込んだ。その期間は2年半に及んだ。
2017年2月に国会で「森友」問題が取り上げられて1年と2ヶ月いよいよこれからだ。
「巧言令色鮮し仁」とはよく言ったものだ。安倍首相と麻生副首相らの答弁には誠実さがない。「魚は頭から腐る」とも言う。私たちは先人の知恵をライブで見ている。ならば私たち庶民も「学びて思わざれば則ち罔し」「義を見てせざるは勇無きなり」などの言葉を思い起こしたい。
返信削除今ほど政治家の資質というものが問われる時は無いと思うのです。論語に照らし合わせると身の錆が浮かび上がる御仁がたなのでしょう。
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