「美学な幕切れ」、「幕切れの美学」というフレーズに何となく憧れをもっている。
私のブログにたびたび登場する今は無き「上方芸能」の終刊にあたって発行人の木津川さんは終刊の理由を「経費の償はざること」と赤裸々に告白されるとともに、経済的理由にその責を求めず、与謝野鉄幹が「明星」を100号で終刊したことを引き合いに出し、「私は齢80歳になり、歳をとりすぎた、時代の変化についていき難くなった」と述べ、廃刊ではなく終刊という言葉で幕を引かれた。私はこの切ない気持ちをおもんばかってブログに「廃刊ではなく終刊-美学な幕切れ」と書いた。
昨日、フィギュアスケートの浅田真央選手が引退を表明、記者会見を開いた。理由は様々に取りざたされているが取材陣みんなが
好意的な見方をしてた。本人の「私の全てがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です」「何も悔いはないです」ときっぱり語った。21年間の選手生活、色々な事があっただろうが記者会見に臨んだ彼女の笑顔は素敵だった。
彼女のように惜しまれつつ、自ら幕を引ける人は少ない。さまざまな問題発言や多くの疑惑につつまれながら大臣の椅子にしがみ付いている奸物のなんと多いことか!世に恥をさらす人生に何の意味があるのだろうかと思う。
会見の最後に彼女はあらためて感謝の言葉を述べたが感極まった涙を後ろを向くことで隠し、少し間を置いて振り返り少し寂しげな笑顔を二度見せた。私は涙を溜めたその笑顔を見た瞬間「ローマの休日」のラストシーンで見せたヘプバーンのあの伝説の笑顔を思い出した。会見の終わりに記者団から自然と拍手が巻き起こったのも映画と同じだった。
私は「美学な幕切れ」という言葉を彼女に贈りたいと思った。