8月4日は「風天忌」、1996年に亡くなった渥美清さんの忌日である。
「風天」とは渥美さんの俳号である。由来は「フーテンの寅」と思いがちだがそうではないようだ。映画の「フーテンの」は「瘋癲」-定職を持たず、ぶらぶらと暮らす人、だろうし俳号を「風天」とした渥美さんの気持ちはわからない。
その風天忌を前にして先日、NHKBSで「寅さん、何考えていたのか?」~渥美清・心の旅路~が放映された。
渥美さんが俳句をやっていたとは全く知らなかったがその俳句の素晴らしさに感動した。私は番組の最初から紹介される句、自由律の無縫さと、繊細な切なさが「尾崎放哉」ばりであると感じていた。図らずも後半、そのことの一端が(私だけの思いかもしれないが)明らかになる。
渥美さんの数少ない友であった脚本家の早坂暁氏が「寅さん以外に演りたい役はないのか?」と聞くと、「尾崎放哉の最期をやりたい」と答え、実際終焉の地の小豆島にも二人で行った事があるそうだ。
放哉と同じく肺結核を患い、2年間療養生活を送り、「結核患者の咳は独特のモノがあり、私なら演じられる」と言ったそうだ。そんな放哉の句に憧れたのかもしれない。
番組の中で2百数十の句を見た俳人の金子兜太氏は「渥美清というのは相当な化け物だと思ったね!あれは相当な、チャップリン級の喜劇役者の素質を持ってるんじゃないかと思ったね」と述べている。山田洋次監督も「彼はシェクスピア劇を完璧に演れる役者ですよ」と語っておられたことがある。
そんな渥美さんもシリーズ後半、体力の衰えを感じ、山田監督も甥の満男をメインに変えようとしていたようである。NHKBSがかって「渥美清の伝言」というドキュメントを放送したことがあった。
その中で役者論のようなものを語り、ふと「寅さん、手を振りすぎたのかな、愛想がよすぎたのかな、うん。~スーパーマンが撮影の時、見てた子供が飛べ-、飛べ-って云ったっていうんだけども、スーパーマンは飛べないもんね。針金で吊ってんだもんね。~寅さんも黙ってちゃいけないんでしょ、24時間手を振ってなくちゃ、フフフ、ネっ。御苦労さんなこったね」とやや自嘲気味に寂しく洩らすシーンが妙に心に残っている。
番組では数々の句が紹介された。
月ふんで三番目まで歌う帰り道
台所誰も居なくて浅蜊泣く
はえたたき握った馬鹿のひとりごと
ゆうべの台風どこに居たちょうちょ
ほうかごピアノ五月の風
蟹悪さしたように生き
赤とんぼじっとしたまま明日どうする